集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーは楽しい

集団ストーカー側の人間は虐めを密かに楽しんでいるのではないかと疑ってしまう。何せ他人の人生を破壊しても誰からも咎められないし、他人を利用して虐めに参加させることができ、誰もが自分達の言いなりになってくれる。こんな愉快な事はないのではないだろうか。

そして一般人もその楽しみを共有してるのではないか。だって外に出れば我々被害者に対して笑みを浮かべてくるものがいるのである。集団ストーカーの嫌がらせの1つに嘲笑があるが集団ストーカー側の指示を受けて嘲笑してると言うよりも個人的に可笑しくて笑っていると思われる人間に最近頻繁に出くわすからである。

私が集団ストーカーの解釈に対して間違った考えを持っているのが滑稽で楽しいのかも知れない。私は集団ストーカーが現代に甦った生け贄的なものと考えているわけであるが間違っているのだろうか。本当の目的はそんなに深い意味がなくもっと簡単な理由であろうか?

私の事に関して一般人にどういう情報が伝えられているかわからない。これは私の想像だが何か笑えるキャラクターに仕立てあげられており、一般人もそれがおかしいのではないか。集団ストーカーは本当に辛く被害者は藁をも掴む思いであり、こっちは常に真剣だしそんな被害者を笑い者にするのは気分の良いものじゃない。笑ってはいけないとわかってるから余計に笑いを堪えてしまうのかも知れない。ひょっとして集団ストーカー側は人間のそういう心理を利用して私を笑い者に仕立てあげているのかも知れない。

他人の不幸は蜜の味というし、かなり多くの人間にとって集団ストーカーは満更ではないのではないか?悲しそうにしてる人間や心配している人間はごく一部で実は皆楽しんでいるのではないか?

私は被害期間が長くはっきし言って状況的に笑えなくなってきているのだが、集団ストーカー側に笑えるキャラクターに仕立てあげられているのではないかと疑ってしまう。今すぐにでも止めてもらいたいのにである。

あいつを虐める事に罪悪感を感じる必要はない。40になっても50になっても60になってもあいつは笑える。あいつの人生を潰すことに負い目も感じる必要もない。いくらでも好きなだけ虐めても良い。
何せあいつの場合何をしても笑えるのだからと思われているのではないかと勘ぐってしまう。

何度も繰り返し言うが私はもういい歳で出来ることに限りがあるため今すぐにでも止めてもらいたいのである。人生1度きりなのに何故ここまで人生を犠牲にしなきゃならないのであろうか。余りにも惨めで泣けてくる。私の人生を振り替えってみると集団ストーカーと共に歩んだ四半世紀であって全くもってやってられない。

我々被害者のプライバシーはどうなっているのだろうか?ちゃんと守られているのだろうか。それとも一般人にも伝えられて共有されているのだろうか。どんな人間も晒したくない秘密は1つか2つはあるであろう。ひょっとして我々被害者のプライバシーは一般人にも筒抜け状態でそれが、愉快で楽しく笑ってる者に出くわすのであろうか。

集団ストーカー被害者は被害者に選ばれたわけであるが選ばれなかった人間は選ばれなかったという仕方で選ばれたのであり、それで優越感に浸れるのではなかろうか。地獄の人生を歩むことが決定的な運命の集団ストーカー被害者。そりゃ選ばれなかった人間は嬉しいだろう。それで虐めを楽しんでいる集団ストーカー側の人間の立場に立って一緒になって楽しんでいるのではないか。

虐めがこの世から無くならない原因の1つは精根の腐ったいじめっこがいるからというよりも、虐めが満更でもない周囲の人間がいるからであると思われる。集団の精神的安定の為に虐めは必要であり松本人志が言うように必要悪であり内田樹がいうように供儀である。虐めは愉快で楽しいものであるという共同幻想が虐めを誘発しいじめっ子はその集団の代表者に過ぎずいくらいじめっ子を裁いてもこの世から虐めが無くなることはないであろう。

そんな私は友達も失い家族も失いこんなに辛く悲しい目にあっているのに笑われるのは気分の良いものじゃない。

もういい加減自分の人生を返してもらいたい。早く人生を返してもらって自分の人生を満喫したい。今も駄目だと言わんばかりに、左耳に電磁波刺激が走る。これが最強レベルで鬱陶しい。本当に腹が立つ。

集団ストーカー電磁波犯罪は誰が思い付いたか知らないが思い付いた人間は全ての被害者から恨まれているだろう。私も恨んでいる。この被害に会わなければ今よりもまともな人生を歩んでいたのは確実だからである。