集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーは現代の生け贄の儀式か

集団ストーカーはどう考えても異常である。私は彼等に弄ばれているのではないかと疑っている。実際集団ストーカーは楽しいのではなかろうか。これだけ悪い事をしても絶対に裁かれないからである。それで集団ストーカーは図に乗ってるのではなかろうか。集団ストーカーの楽しみを多くの一般人も共有してるかも知れない。集団ストーカーは一般人参加型の犯罪だからである。創価が主体とか集団ストーカーが付いてる嘘であろう。どう合理的に考えても創価が主体の犯罪とか無理があり過ぎて、なぜみんな信じるのか不思議でならない。一般人参加型の犯罪とか思えないし、そう考えると説明がつくのではなかろうか。集団ストーカーの加害者集団が一般人に音声送信兵器で指示を出して集団ストーカーに参加させてるとしか思えない。いきなり音声送信兵器で指示を出されてもびっくりして、指示に従うはずがないし、集団ストーカーとは付け狙ってる奴が加担する場合もあるが、たまたまそこにいた奴が加担することが多く、従って音声送信兵器で集団ストーカーに加担する場合に集団ストーカーと音声送信兵器の存在を知ってる必要があるのだから、犯罪の構造上、誰もが集団ストーカーや電磁波兵器の存在を知ってないと不可能なのである。時には思考盗聴してないと不可能な嫌がらせも多々あるのだから、普通の人間は思考盗聴器も知ってると思われる。従って、普通の人達も思考盗聴してるのである。私がそれを確信した出来事があるがそれは別の機会に話す。

オウムと同じく集団ストーカーとはある種の理想の楽園であり、オウムは崩壊したが、その時に遂に自分達の理想郷が終わったんだなと、信者が実に悔しそうな顔をしていたのが印象的であったが、集団ストーカーも似たようなものかも知れない。集団ストーカーは人を自殺に追いこんでも裁かれないのであるから、こんな愉快なことはないのではなかろうか。遂に奴等は理想郷を手に入れたのである。集団ストーカー王国である。その王国にはタブーはなく全て可能である。自分達が意図したレベルまで何の罪もない人間の人生を破壊しても決して裁かれないのである。集団ストーカーという供儀は多くの人間にカタルシスを与えた。供犠とは生け贄の儀式であり、昔は多くの民族が天災や災害、作物不良等民族の危機が訪れると、自分たちを救うために神に生け贄を捧げ生け贄の儀式をした。生け贄に選ばれた人間は最悪としか言いようがないが、スペインに滅ぼされたアステカ帝国では生け贄の儀式の時に神に生きたまま生け贄の心臓を取り出し神に捧げたらしく、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人もドン引きしたらしい。当時のスペイン人はこの上なく卑劣にして残酷な仕方でインディアンスを大虐殺したが、アステカ帝国を滅ぼしたピサロ銅像を建ててることを考えると反省するどころか、誇りにしてるのだろう。どう考えても異常だな。当時はスペインだけでなく、イギリス、オランダ、ポルトガル、フランスも狂ってたが。地上の8割を植民地にしたのだから。

今は科学全盛の時代だから供犠は行われないが、供犠自体が精神安定作用をもたらし、昔はそれで多くの民族が神に救われると信じた。集団ストーカーという虐めは現代の供犠であり、科学がこれだけ発展しても、神も宗教も死なないし人間にはいつの時代にも誰かを犠牲にした供犠的なカタルシスが必要なのだろう。だいたいが単純に考えても、集団ストーカーではなくて、普通の虐め自体が供犠である。誰か特定の対象を選んで、みんなで寄ってたかって虐めることにより、供犠的なカタルシスを得るのである。ある種の劣等感補償的な儀式のような気がするし、虐めの対象に自分は選ばれないということで安心してるかも知れない。虐めは現代の供犠である。集団ストーカーも似たようなものでなかろうか。一般人も集団ストーカーと一緒になって集団ストーカーを楽しんでいるのかも知れない。それに集団ストーカーという地獄の犯罪に選ばれなかったことで優越感に浸ってるかも知れない。中には悲しんでる人間がいることも知ってるが。我々被害者は同情されるどころか、一部の人間にカタルシスを与える為に人生を犠牲にしているのだ。絶対に許されない。一度きりの人生を回復不能な状態まで追い詰められるのだから。人生は一度きりだから価値があるのだから。この世には1つとして同じものはなく、全て差異であり、だから、生命は価値があるのだし、殺してはならない。人生も同じである。1つとして同じものはなく、誰も他人の人生を破壊してはならない。集団ストーカー被害者として勿論自殺を考えたこともあるし、失敗に終わったが自殺を図ったこともある。電磁波兵器で不安を増幅されて、それは、この世の苦しみとは思えない程の苦しみであり、人間が味わう苦しみの中で最大の苦しみではないかと言いたくなるくらいの凄まじい苦しみであった。それで耐えきれなくなり遂に自殺を図った。首吊りだったが、ロープかけたドアが外れて未遂に終わったが、意識が目覚めた時に背中にドアが掛かっており、なぜドアがかかってるか最初は分からなかった。自分が倒れてる理由も分からなかった。自殺未遂をすると、全て忘れるらしい。意識が完全に戻った時に、あ〜そうだ、俺は自殺をしたんだと思った。もう一度繰り返すと、命は全て唯一無二であり、1つとして同じものはないのだから、自殺もいけないのだろう。この世にたった1つの命を自ら殺すのだから。自殺未遂を図った私は自殺した人間には同情的だが。

栄枯盛衰、いつかどのような王国も崩壊する。ローマ帝国ナチスドイツも崩壊した。インディアンスから土地を奪ったアメリカはそのことを負い目に感じており、この世で一番優れてるアメリカ文明を伝えるために清教徒がヨーロッパからアメリカ大陸に移住してきたことになってるのがアメリカ神話で、崇高な使命を抱いた偉人がアメリカを建国したことになってるが、実際は大嘘であり、この上なく卑劣な仕方でインディアンスを殺戮して土地を奪ったのが真相であり、そうなるとアメリカの神話は大嘘ということにり、論理的必然としてアメリカはアメリカではなくなるからアメリカは滅ぶ。アメリカ人は深層心理ではそのことを知ってるから、負い目と罪悪感があり、そのことに耐えれず、いつか復讐にあうとビクビク怯えて異教徒に過激になるのである。つまり、インディアンスを過激に滅亡寸前まで殺戮した反復強迫である。日本人を殺戮しまくったのもそのためである。日本も崩壊しかかっている。集団ストーカー王国もいつか必ず崩壊するだろう。遠い未来の話であろうが・・・・

私の説を鵜呑みにしないで下さい。頭半分で聞いてください。集団ストーカーの真実は結局自分で考えるしかないだろう。集団ストーカーの説はたくさんあり、みんな自分が納得した説を信じるだろうが、私は何も信じておらず、全てカッコに入れて改変の余地があると考えているが、創価主体の犯罪とかあり得ないとこれだけは確信している。創価がやってるとかどう科学的に考えても無理がある。当然だが私は学会員ではないよ。被害者は何にでも懐疑的になり人を疑いたくなるし、人間不信になるから私は創価の人間だと疑いたくなるのも分かるが。

嫌がらせにムカついて、怒りにまかせて走り書きしたが、供犠的な要素はあるかも知れないしないかも知れないし、実際のところはよく分からない。とにかく集団ストーカーの真実については自分で考えてください。とにかくありとあらゆる説は疑ったほうが良いと思うが。