集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

普通の日常を取り戻したい

早く犯罪が終わって普通の日常を取り戻したい。集団ストーカーの被害にあわずに普通の日常を生きていける人達が羨ましい。私も普通の日常を生きたい。集団ストーカー被害者の日常はどう考えても狂っている。普通の人達が普通の日常を生きる中で我々被害者だけイカれた世界で生きる。しかも、普通の人達は集団ストーカーの存在を知っているのである。勿論有名人も知っているのである。この状況は被害者から見れば明らかに狂ってる

バラエティー番組を見る。テレビの中のタレント達も会場にいるお客さん達も実に楽しそうにしている。こういう光景を見るにつけ実に虚しくなる。みんな集団ストーカーを知っているのに楽しそうにしてるのが実に悔しくてしょうがない。むろん楽しそうにしてると言っても芸能人にとっては視聴者を楽しませるのが仕事だから、例えば調子が悪くて仕事をしたくない日もあるだろう。でもスタジオで楽しそうにしている彼等を見るとどうしようもない虚しさに襲われるのである。一般人も同様例えば公園を散歩してる時に幸せそうにしている家族連れを見掛ける。子供達が無邪気にはしゃぎ回っている。両親も嬉しそうに子供達を見守る。友達連れやカップル等みんな楽しそうにしている。彼等も私が集団ストーカー被害者と知って楽しんでいるわけである。一体どういうつもりで楽しんでいるのだろうか。集団ストーカー側に被害者のことが可愛そうで悲しくても絶対に表情に出すなと指示を出されているのであろうか。何故我々被害者だけこんな目にあわなきゃならないのだろうか。毎日深いため息が漏れる。人生を犠牲にし過ぎた。死ぬほど腹が立つ。この犯罪を思い付いた奴を叩き殺したくなる。失った時は取り戻せない。時だけがどんどん過ぎていく。歳も重ね出来ることも限られていく。一体いつまで続くのであろうか。本当に今すぐにでも普通の日常を取り戻したい。しかし、私の場合終わっても大して嬉しくないのである。何か始めるには歳を取りすぎた。本当に最悪である。この先の人生どうなるのであろうか。私はうまく生きていけるのであろうか。非常に心配だ。

集団ストーカーがなければあったかも知れない私の人生。全ては相対的な比較の問題である。もし私が被害者じゃなかったらと考えてみる。私なら被害者のことは可哀想に思うだろう。最悪な人生を生きる事を余儀なくされ人生の貴重な時間を奪われるのである。とてもじゃないが見てられない。リアルな虐待を見るのは気分の悪いものである。そんな私は少数派かもしれない。他の人達は所詮他人事でどうでもいいのかもしれないし、中には集団ストーカーを楽しんでいる人間のクズもいるのかもしれない。私は楽しめない。私だけが幸福で良いのかと負い目のようなものを持ってしまうかも知れない。

他の被害者は真実を知らないから私より生きるのは楽であろう。もう一生終わらなくてもいいやと腹を括った人間もいるのかもしれない。しかし私は彼等のように諦めることは出来ない。何故なら全ての人間が集団ストーカーを知っていると知ってしまったからである。このような状況下だと生きるのが余りにも辛すぎるので諦めることは出来ない。今すぐにでも終わってもらいたいのである。終わってもらわなきゃ困る。まるで地獄である。早く私に普通の日常を返してもらいたい。

最後にどうでもいいけど日本のテレビもラジオも本当につまんねえな。。いや、本当にどうでもいいことだけど。