集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

終わって最悪終わらなくて最悪

私の場合集団ストーカーは終わって最悪、終わらなくて最悪である。今更終わっても年を取りすぎた。この先楽しいことがあるとも思えない。人生はやはり若い内に楽しい思い出を作っとかないと駄目である。私には楽しかった思い出が殆どない。そりゃあ小学生の頃は確かに楽しかった思いでもあるが、集団ストーカーが始まった中学以降楽しかった思い出が殆どない。いくらか友達と遊んだ思い出がありそれなりに楽しくはあったのだが重ね重ね言うように私は集団ストーカー以外にも難しい問題を2つも抱えておりその問題に対処するだけでも結構な労力を有するのであった。その問題とは何度も語ったように友人と母親との間に出来た軋轢であった。それは辛いものであった。特に友人との間に出来た問題が最悪であった。前に何度か語ったが私はその友人に洗脳されており自分のしたいことが何も出来ないのであった。洗脳されてたのは思春期の頃である。人生で一番重要な時期である。この頃に洗脳されてたのが痛すぎた。思春期の時期は自我の目覚めとかいうやつで多感で自分のことについて一番考える時期である。私は従って洗脳されてたので自分のことを最優先に考えることが出来なかった。いつでも先行して友人の事を考えるように洗脳されてたのだ。宗教の教祖を絶対化し100%の忠誠を誓うようなものである。私は心の中ではそいつのことが大嫌いで死ねばいいのにと思っていたが表面上はそいつの言いなりになり、ある種の忠誠を誓っているのであった。それはとてつもなく屈辱的なことであった。しかし、そいつに反目するのが恐ろしく忠誠を誓う以外になかったのであった。

酷く屈辱的であった。私は自分のしたいことが出来なかったし人生は恐ろしくつまらぬものになってしまった。私は奴に植え付けられた諸々の観念群に苦しめられてきたし、未だに苦しんでいる。どうも観念というものは一度植え付けられたら自分の中から消し去ることは不可能なようである。しかしいくらか客観的になり植え付けられた観念群を自分の支配下に置くことは可能なようである。奴は観念は一度植え付けられたら取り外しがきかないことは意識的にか無意識的にかわかっていたようである。奴は自分の存在を私に植え付けたかったのであろう。誰も振り返らない透明な僕ちゃん状態には耐えられなかったのであろう。奴は家でも学校でもそんなにうまくいっているようではなかった。そして観念を植え付けて私を自分の支配下に置きたかったのであろう。なんとも生けすかない奴である。今では私は奴には恨みしかないが当時は奴のことを崇拝してたのである。屈辱の極みであるし腸が煮えくり返ってくるが、私は植え付けられた観念群に苦しめられガチガチに縛りつけられしたいことが何も出来なかったのである。運が悪いことに奴に観念群を植え付けられた時期と集団ストーカーが始まった時期が被るのである。中3の頃であった。

奴はどうももっと自分のことを見てもらいたい、理解してもらいたいという気持ちが強かったようである。奴は何故私に観念群を植え付けて自分のことを注視するようにしてきたのであろうか?そして自分の支配下に置きたかったのであろうか。奴が私にそのような行動に出るまえは私達は仲のよい友人同士であった。しかし、ある時期を境に私は奴とつるむのが嫌になったのである。それで私の態度がよそよそしくなり冷たい態度を取るようになってしまった。奴が変わったのはそれからである。

奴は酷いショックを受けているようであった。私は何故奴がそこまでショックを受けているのか不思議であった。恐らく奴は私との関係を立脚点として友達と横の繋がりを持ちたかったのであろう。奴は恐らく私との関係が友人との接点を繋ぐ骨子であったのであろう。であるから私との関係が崩れるのはある種の世界観の崩壊である。しかも多感な中学生の頃だからショックはでかかったであろう。奴は母親と兄貴との三人暮らしで家庭内ではそんなにうまくいっているようではなかった。母親は深夜遅くまで働いており兄貴ともうまくいっておらず家に帰ってくると実質1人のようなものであった。中学生の頃にそういう生活は辛いであろう。せめて学校内では友人を作り充実した学園生活を送りたかったであろう。しかし私との関係が破綻してそれが不可能になってしまった。奴は酷く動揺していた。世界観の崩壊である。そこで奴は私を自分の支配下に置き、自分にとって都合の良い人間に意図的に作り変えようとしたのであろう。それから私の地獄が始まる。

奴は事あるごとに私のことを否定してきた。やることなすことを否定してきた。まるで好きな女の子に振り向いてもらいたいだだっ子のように。そして自分のことを絶対化し私に自分が絶対的な存在だと思い込ませようとしてきた。カルトの典型的手法である。奴は創価家系の人間だったが奴は創価のことを小馬鹿にしてたが知らず知らずの家に創価の影響を受けていたのであろう。奴は自分の好きなものを私に植え付けてきた。これを理解出来ない奴は馬鹿だと言って植え付けてきた。私はそれが苦痛でたまらなかった。奴の好きなものを受け入れたくなかった。しかし私は受け入れたのだ。私は奴の好きなミュージシャンのCDを買うのであった。聴いても楽しくないし苦痛なだけだったが奴の好きなミュージシャンのCDを強迫的に買うのであった。これはえらい屈辱的なことである。私は自分の好きなものを否定され奴の好きなものを受け入れたのだ。全然楽しくない。それからである。私が暗くなってしまったのは。私は根はうるさいくらい明るい性格で遊ぶのが大好きな人間なんだが、しかし、奴に洗脳されてからは暗い性格になり何をしても人生を楽しめなくなったのであった。

奴はよっぽど追い詰められていたのだろうか。私のことを支配下に置こうとしてたのだから追い詰められていたのであろう。奴ははっきしいって現実を見ずに逃避していたと思う。自分に課せられた現実から目を反らし逃亡したから私のことを洗脳し自分の支配下に置こうとしたのである。中学生だし家庭環境が不幸だから同情の余地はあるが私にしてみたらえらいことである。こっちは植え付けられた観念群に長いこと苦しめられてきたのである。私はしたいことが何も出来ず、好きなものを純粋に楽しめず、好きなものを好きと自由に言えなかった。

私は自分の人生を生きることが出来なかった。奴の支配下に置かれ奴の好きな物だけを受け入れる人生を生きてきたのだ。とてつもなく屈辱的である。今でも奴の事を思い出すと殺意が沸いてくるが当時は反抗出来ず奴の言いなりになるだけの人生であった。

私が洗脳されていると気付くまでに13年かかった。気付いたきっかけは岸田秀の「フロイドを読む」に出会ったからである。岸田も私同様に母親に様々な観念群を植え付けれていたのであった。岸田は強迫神経症であった。最初の頃は自分が変わり者ぐらいにしか思ってなかったが症状が余りにも奇っ怪な為にフロイド理論を拠り所に自己分析を開始したのであった。で、自己分析していく過程の中で自分の症状を論理的に理解していくうちにしたがって母親の存在がその強迫神経症の原因として見えてきたのであった。母親は表面上は岸田の事を愛している振りをしてたが本当は自分の都合の良い人間に岸田を作り変える為に様々な観念群を植え付けて自分の支配下に置こうとしてたのである。私も岸田同様に様々な観念群を植え付けれられ、したいことが何も出来ないのであって、何をするんでも奇妙な観念群が邪魔をするのであった。映画を観ても音楽を聴いても純粋に楽しめないのである。これは価値のあるものかどうかいちいち考えながら映画を観たり音楽を聴いたりするのである。この観念群にはほとほと参った。例えば感動的な音楽に出会ったとすると直ぐにこれは価値のある音楽なのだろか、奴が聴いたら感動するだろうか、小馬鹿にするんじゃなかろうかと考えてしまい純粋に楽しめないのである。それで直ぐにその音楽を聴くのをやめてしまうのであった。これは奴が私のことを徹底的に否定してきたことに由来する症状である。従って私の人生は陰鬱で薄暗く味気ないものになってしまったのであった。岸田の本を読み進めていくと同時に私は奴に洗脳されていたのではないかという疑念が沸いてきた。そしてつぶさに自分の心の本音を覗いて見ると私はしたいことが何も出来ずありとあらゆる観念群にガチガチに縛りつけられており、そこから脱出したがっており、そして奴のことを叩き殺してやりたいくらい恨んでいるのであった。私はその自分の本音に気付くまでに実に13年もかかったのである。余りにも長すぎる。私は13年ものの長きに渡り自分の人生を生きることが出来ないのであった。しかもそのことに、つまり洗脳されていたことに気付いたからそれで良いというものでなく植え付けられた観念群は消えないのである。未だに私は心の中に植え付けられた観念群に苦しめられ続けているのである。奴が私の心の中で支配権を握りほくそ笑んでるのである。勿論洗脳されてたと気付いたから昔よりはましになったが今でも映画や音楽を純粋に楽しめないのである。私は奴のことが憎たらしかった。叩き殺してやりたかった。失った時間は返ってこないのである。私は膨大な時間を無駄にしたのである。今更悔やんでも仕方がないが私は時々酷い悔恨の念に襲われるのである。悔しくて悔しくて仕方がない。

そして更にそこに集団ストーカー問題が覆い被さってきたのである。まるで地獄を生きているようである。全被害者の中で私こそが一番不幸であろう。私から見ると他の被害者は私よりはみんなましに思える。なぜ私だけがこんな不幸な人生を生きなきゃいけないのだろう。しょっちゅう産まれてくるんじゃなかったと思う。私は現実が大嫌いであった。しかしどこにも逃げ場はない。現状を甘んじて受け入れる他にないのだ。奴と同じく他人を利用して状況を打破したいとは思わない。それは完全な負け犬であるし何れ自分に返ってくるからである。もう観念して現実を受け入れる他にないのだ。もう一度繰り返すがこんな糞みたいな人生を生きなきゃならないなら産まれてくるんじゃなかったと思う。私は辛酸を舐めすぎた。もうたくさんである。いい加減にしやがれと思う。神がいるとしたら私は神を呪う。

タイトルにあるように私の人生は集団ストーカーが終わって最悪、終わらなくて最悪である。何か始めるにはもう遅すぎる。歳を取りすぎた。何で俺がこんな惨めったらしい人生を送らなきゃならんのだと自問する日々である。私は人生を奴と集団ストーカーに奪われたのであり今更終わっても嬉しくもなんともない。将来が物凄く不安だ。この先どうなるのであろうか。集団ストーカーさんよ。俺の人生はこの先どうなるんだよ。人の人生を奪った責任は取ってくれんのかよ。もういい加減に終われよ。もう何もかも手遅れなんだよ。一体どうしてくれんだよ。取り返しがつかねえじゃねえか。余りにも最悪過ぎるじゃねえか。もうどうにもなんねえぞ。早く俺の人生を返せよ。私は奴と集団ストーカーを一生恨んで生きるであろう。

俺の苦悩を洗い流してくれる名曲です。泣ける。


https://youtu.be/VtIlpkWdyJc

https://youtu.be/MQr9WbBfoD8