集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

俺達の人生は普通じゃない

普通の日常が音をたてて崩壊する。どこにもあるありきたりな人生が崩壊し異様な世界が眼前に現れる。何てことだろう。俺達には普通の人々が生きるような普通な人生を生きる事は出来ないのだ。集団ストーカーのせいだがこんな人生を生きてると、とてつもない虚無感に襲われる。一体こんな人生に何の意味があるのだろう。毎日思うことであって人生にもう意味を見出だせない。被害にあい続け今ではもう人生を変えることは叶わずただ虚しい日々が過ぎていく。我々集団ストーカー被害者に救いはあるだろうか。

何故集団ストーカーはここまで我々被害者を追い詰めるのだろうか。そのことに一体何の意味があるのだろうか。一体誰が何の目的で思いつきやがったのだろう。我々被害者は人生を奪われているのである。たった一度きりしかないかけがえのない人生を。人生は一度きりしかないから価値があるのではないか。それなのに我々被害者は膨大な時間を無駄にしているのである。他人の人生を奪うことに集団ストーカーは罪悪感を感じないのだろうか。普通の人間には耐えられないだろう。それとも集団ストーカーの真意を知ったら納得のいく理由があるのだろうか。私は膨大な時間を無駄にしたのであって集団ストーカーの真意を知っても納得することはないし集団ストーカーに対する憎しみは消えないと思う。10代中頃から始まった集団ストーカー。私は被害者に選ばれてから自分の人生を生きることが出来なかった。まるで10代20代の頃が空っぽのようで一気に20年後へとワープしてきたかのようだ。人生は一度きりでかけがえなくやり直しはきかないということはある程度歳を取らないと分からない。若い頃は今が永遠に続くと錯覚出来る時期で何れ何とかなるだろうと思っていたがどうにもならなかった。一気におっさんになったような感じだ。人生の空白期間を埋めることは叶わずこの現実を受け入れる他にない。それは辛いことである。全く私の人生は最悪で毎日酷い絶望感に襲われる。我々被害者に未来はあるのだろうか。集団ストーカーさえなければ違った人生があっただろうとよく思う。

私の人生は振り返って見れば困難の連続であった。楽しかったのは小学生までだ。何度も説明した通り私は中学生の頃にある奴に洗脳されて人生を破壊されたのだ。そして母親とのわだかまりもあった。更に集団ストーカーの被害者に選ばれて人生が崩壊した。困難はもう嫌と言うほど味わった。もういいだろう。一体いつまでこんな人生を生きなきゃならないのだろうか。私が死ぬほど辛い人生を生きてきたことは集団ストーカーは知ってるはずだ。それなのに集団ストーカーは終わらない。何度も終わってくれと訴えても終わることはない。集団ストーカーに「謝れば終わる」と言われたので謝ったのだが終わることはなかった。全く納得出来ない。こっちは20年以上も集団ストーカーに耐えてきたのに「謝れ」ときやがった。私がどれほど不幸な人生を歩んできたかこいつらは嫌と言うほど知っているだろう。それなのに「謝れ」である。全く納得出来ない。こいつらは何様のつもりなのだろうか。恐らく掲示板に書き込んだ悪口のことだと思われるがたかがそれだけのことで「謝れ」である。私は全く納得出来なかった。しかし集団ストーカーが死ぬほど辛く早く終わってもらいたかったので仕方がなしに謝ることにした。しかし集団ストーカーは終わらなかった。死ぬほど腹が立ち、もういい加減にしてくれよという気持ちで一杯だった。前にも書いたが「色々と考えた結果不合格」と思考が送信されてきたことがあった。私は死ぬほどむかついた。こんな苛つく奴等はいない。どう考えてももう終わってもいいだろう。私は一生分の不幸はもう味わった。こいつらはどうすれば満足するのだろうか。私は今でも集団ストーカーに対して悪口を止めない。それは集団ストーカーの嫌がらせがあまりにも卑しく腹が立つからだ。集団ストーカーはどうも悪口を言われるのが気に入らないようで私が集団ストーカーを小馬鹿にすると嫌がらせが激化するのである。で、こちらが集団ストーカーの嫌がらせに屈服すると被害が多少収まるのであった。どうも集団ストーカーは被害者を屈服させたいようでこちらが反抗的態度をとると被害が激化するのである。私は何度も集団ストーカーに早く終われと絶叫すると「早く終わって下さいだろ」と思考が送信されてきた。こいつらは一体何様なのだろうか。なぜ上から目線なのだろうか。こいつらは我々被害者より偉いのだろうか。全く糞虫酸の走る奴等だ。こんなことをブログに書いてるから終わらないのかもしれないが集団ストーカーの嫌がらせがあまりにもしつこくて卑しく卑怯で尋常じゃないくらいムカつくので、こっちもついつい悪口を言ってしまうのである。集団ストーカーの嫌がらせの1つに嘲笑があるが一体何がおかしいのだろうか。全く笑えない。お前らは笑いのセンスがあるのだから集スト芸人にでもなれよwと思わず思ってしまうのだがこんなことを思うから集団ストーカーはいつまで経っても終わらないのだろうか。どうも集団ストーカーのプライドを傷付けることはNGのようでこいつらに対して小馬鹿にする態度をとると嫌がらせが激化するようである。しかし、目には目を、歯には歯をの同害復讐の原理で、どうしても我慢出来ずやり返してしまう。しかし反抗的態度は駄目のようである。こいつらは不通の人間よりもプライドが高くてちょっとしたことでも腹がたつのではないか。或いは心中密かに罪悪感を抱いており本当は集団ストーカーはやってはいけないことだと心のどこかで思っており、他人のかけがえのない貴重な人生の時間を奪うことに本当は耐えられず被害者に悪口を言われると罪悪感を刺激され過剰に反応してしまうのではないか?このブログを書いてる時に壁をドンドンと叩かれた。今書いているこのブログに反応したのだろうか。私は死ぬほむかついたのでいい加減に止めろと絶叫した。全く最悪な奴等だ。死ねばいいのに。集団ストーカーを思い付いた糞は全人類大爆笑のもと処刑されればいいと思う。こいつらはただの罪人ではないか。全く糞虫酸が走る奴等だ。早く終われや。俺に人生を返してくれ。そして責任を取ってくれ。私は余りにも膨大な時間を無駄にしたのである。金をいくら積まれても失ったかけがえのない人生は返ってこないのである。だから私に謝罪をし責任を取ってくれと思う。

今日散歩中に可愛い女子高生二人組に遭遇した。キラキラと輝いており心底人生が楽しそうであった。私は青春コンプレックス持ちの人間なので彼女達を見るのは辛かった。私も10代の頃に恋愛をしてみたかったと思う。集団ストーカーのせいで奪われた26年。失った日々はもう返ってこない。ああ・・・辛い。今世の人生はもう諦めた。私は集団ストーカーを恨みながら死ぬであろう。全く冴えない人生で目も当てられない。なんたる人生だ。こんな悲惨な人生はあるだろうか。忌野清志郎が日本人に対して君達は北朝鮮の難民ではない。彼等よりもましだというような事を確か言っていたかと思う。確かに彼等は不幸だろう。誰もが彼等と同じ目にあいたくないだろう。まともな人間なら彼等も幸福になってほしいと思うだろう。が、しかし幸不幸は相対的な問題で日本には日本の地獄がある。日本生まれ日本育ちの私には比較の対象が日本人しかいない。それで私は他の日本人と自分を比較して自分が死ぬほど不幸だと思うのである。日本人の中で私が1番不幸なのではないか。片親で家は貧しく親に愛情はなかった。しかも死ぬほど馬鹿であった。そして中学生の頃にかつて友人だった奴にトラウマを植え付けられて人生が狂い、そして集団ストーカーの被害者に選ばれてしまったのだ。こんな不幸な人生あるか。自分が1番不幸かどうかは実際のところは分かりようがないが、しかし、客観的に見て不幸な人生を歩んでいると言えるだろう。不通の家庭に産まれて不通の人生を生きてみたかった・・・