集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

95年ぐらいから時代の雰囲気が変わらないのはなぜなのか。

私は常々不思議に思っていたことの1つに95年ぐらいから時代の雰囲気がほとんど変わらない事があげられる。これは私以外の他のブロガーも指摘してたから同じ考えを持っている人間は他にも結構多いと思われる。その原因をなるべく説得力がある形で説明しようと思う。

結論から言うとヨーロッパ文明が世界を制覇したのである。その衝撃が95年ショックである。世界の雰囲気が突然変わったのは95年以外にないのではなかろうか。私の感覚だと95年に世の中の雰囲気が一気に変わってしまった。女子高生がルーズソックスを履いたり、援助交際に走りオウムがニュースで取り上げられ、一年前に松本人志の遺書が発売された。全ては時代性があり、フーコーが言うように誰もが知らず知らずの内に時代性に影響を受けるのである。(当たり前のことだがヨーロッパの哲学者は当たり前の事を小難しく語る癖があるらしい。)95年の頃は私は高2であったが、その頃から現代に至るまで世の中の雰囲気が変わらないのである。その当時に買ったファッション雑誌を今でも持ってるがその雑誌は今の時代でも十分に通用するファッションが掲載されている。そのわずか三年前のファッション雑誌を持ってるが古臭くてとてもじゃないが参考にしようとは思わない。92年のファッション雑誌である。僅か3年前である。僅か3年でここまで変わるかというくらい変わってる。で、時代の雰囲気は徐々に変わっていくものだが95年に一気に時代の雰囲気が変わり今日までその雰囲気が変わらないのである。これはヨーロッパ文明がその他の文明を淘汰し、駆逐した現象であろう。遂に日本の文化が本当の意味で過去のものとなり伝統と呼ばれることになったのだ。この95年ショックは当のヨーロッパ人にも衝撃的であった。というのもヨーロッパですらその文化が過去のものとなり伝統と化したからだ。ファッションも変わらないし、音楽も変わらない。ファッションと音楽は時代を写す鏡だが、このファッションと音楽が古臭く感じないのである。ヨーロッパ文明には淘汰性があり、他国の伝統を駆逐した。そして遂に95年にヨーロッパは世界を制覇したのだ。それ以外に考えられない。ヨーロッパは大航海時代にこの世で一番優れているヨーロッパ文明を伝えるのはヨーロッパ人に課せられた重荷と考えていたが確かにヨーロッパ文明は世界を席巻したのだ。

ヨーロッパがキリスト教から脱していったこととも無関係ではないだろう。ヨーロッパは伝統的にキリスト教を信仰していたがその信仰がすたれキリスト教が過去のものと化したのである。今では誰も教会にいかなくなったとヨーロッパ人は掲示板に嬉々として書いているがヨーロッパ人にとってはキリスト教はやはり重荷だったのであろう。ヨーロッパはキリスト教から脱する為に実に1500年も要したのだ。とてつもなく長い時間をキリスト教と共に生きてきたわけだが、ヨーロッパ人にとってキリスト教は植え付けられたものであるから、はやはり信仰が出来なかったのであろう。そしてヨーロッパ人はキリスト教を植え付けられた屈辱を大航海時代に晴らすのだ。ヨーロッパ人は異教徒にキリスト教を押し付けるのであった。そうしてキリスト教がヨーロッパだけではなく、アジア、アメリカ大陸でも信仰され世界宗教になったのだ。で、キリスト教世界宗教になるとヨーロッパはキリスト教から脱していくわけだが、ヨーロッパ文明は浸透し続けたというわけである。ヨーロッパが世界制覇した衝撃が95年ショックだがこれは当のヨーロッパ人にもショックがあったと説明したがそれはキリスト教を信仰している人々にとって衝撃的だったのだ。あのセックス・ピストルズのジョンライドンにも幾ばくかのショックを与えたようだがそれは当然で、ジョンライドンにとってはキリストは信仰の対象であったからである。

とにかくヨーロッパはトラウマだらけで一番混乱して傍迷惑だったわけだが、ヨーロッパキリスト教文明は確かに世界を制覇したのだ。95年の特徴としてありとあらゆるものがファッショナブルになったと言うことが出来るだろう。これはキリスト教ヨーロッパ文明の反動的反抗の現れである。このキリスト教の反動形成作用が世界を席巻し遂に世界制覇を達成したのが95年である。文明とはあるレベルまでいくと停滞するものである。それまではおおよそ10年おきくらいに時代の雰囲気が変わったが、変わらなくなったのはヨーロッパ文明が頭打ちしたためでもある。従って、ファッションも音楽も25年経っても代わり映えしないのである。今までが変わりすぎて異常だったのである。10年おきくらいに時代の雰囲気が変わるとかよく考えると異常であろう。それには資本主義も関連があると思われるが長くなるのでここでは語らない。文明とは停滞して当然である。文化と言った方がいいかと思われるが文化はある一定のレベルまでいくと停滞するものである。日本もヨーロッパもそれは変わらない。そして、変わり続けるのは科学だけである。今はどこの家庭にもスマホかPCはあるだろうが、95年にヨーロッパが世界制覇を達成し文明が停滞し、その後、世の中の雰囲気が変わらず身の回りの科学的発明品だけは変わり続けるというわけである。

95年ショックに対応出来なかった者は勿論淘汰された。ロックバンドのLINDBERGなんか典型的であろう。彼等の音楽を聞くと時代の変化に対応出来なかった苦悩が歌われている。上手く対応できたのはファッショナブルなものに身を包んでいた者である。私の学生時代はまさにファッショナブルなものの全盛期で皆高級ファッションに身を包んでいた。クロムハーツと言えば聞き覚えのある人間もいるのではなかろうか。皆クロムハーツのチェーンを買っていた。私は貧しかったのでクロムハーツは買えなかった。ファッションにも疎かった。私もお洒落をしたかったが金がなく出来なかった。従って金がなくても出来るパンクファッションに身を包んでいた。

95年こそ時代の転換期である。この先新しい文明はもう生まれないだろう。従ってヨーロッパ文明はかなりの長い期間世界の中心的文明であり続けるだろう。それはヨーロッパ人に優越感を与えるだろう。ファッショナブルなものはファストファッション、GAP、ZARAH&M、gu、UNIQLO等が受け持つこととなった。みんなファッションに身を包むこととなった。つまり洋服が身近になった。金をたいしてかけずお洒落を出来る今の若い人達が羨ましいが私の時代は一着3、4万もする洋服に皆身を包んでいた。

今の日本人が着物を着るのは祭ごととか特別な日以外にないだろう。綺麗な女性が着物を着ると美しいと思うがあくまでも伝統美俗の中においての感覚であり、毎日着物を着る女性は旅館の女将を別にしてそんな人間がいたら奇異な目で見られるだろう。日本文化は伝統と化したのである。全ては過去のものと化したのである。勿論ヨーロッパも同じくである。95年ショックとはアンチキリスト教的反動作用的文化の流入による世界制覇であった。

忘れていた。超自我も無視できまい。時代の雰囲気を産み出しているのは間違いなく超自我である。超自我が95年ショックを引き起こしたのである。この超自我は未だに変わらぬ威光を発揮している。岸田秀の説によると神が死に別の色々なものが神の代替えになったとのことだが、超自我がまさに神の在席に位置してたのである。この超自我の役割を担っていたのは神であったが神が死に細分化され四方八方へと飛び散ったのである。そしてありとあらゆるものが神へと変貌したのである。例えばアイドルやロックスター等がそうであるが、そして超自我の中核的存在は神の視線の代替え的な人の視線である。超自我に常に見詰められるのは苦痛であろう。私は誰の視点が超自我になるか、ある種の超自我争奪戦になってると分析したがそれは日本でも、ヨーロッパでも同じである。超自我論を否定するとそいつの理論が超自我になるのである。だから、フロイド先生の嘘という書物があり、フロイド理論を否定しているのだが今度はそいつの考えが超自我になるのである。従ってフロイド理論は正しかったと言えよう。

ヨーロッパ人は1500年も超自我に苦しめられ続けてきたのである。その為に多民族に超自我を植え付けてやりたい衝動を持ったのであり、それが大航海時代における過激なまでのキリスト教の布教活動であった。この超自我はとりあえず当分の間は威光を発揮し続けるだろう。時代の雰囲気はやはり変わらないし文化は停滞し続けるだろう。95年ショックを乗り越える為にはこの超自我に引導を渡す以外にないだろう。しかし、もうヨーロッパ文明に変わる文明は現れそうにないし、しかし、ヨーロッパ文明が世界制覇をしたのは屈辱的であるし、どうしたものか。しかし、ヨーロッパ人も随分と苦労し続けたのである。もう昔みたいに苦労したくないだろう。今の地位を奪われたくないだろう。従ってヨーロッパ文明は私が思うに少なくとも500年はその威光を発揮しつづけるだろう。(日本の右翼にとっては辛いだろう)かつてヨーロッパ人が他文化の人達を羨ましがっていたのに、形成は逆転し非ヨーロッパ文明圏の人達が今度はヨーロッパ文明を羨ましがっているのである。従ってヨーロッパ文明は当分の間世界の中心であり続けるだろう。

集団ストーカーを思い付いたのもまず間違いなくヨーロッパ人であろう。私はもうヨーロッパ人には我慢ならない。こいつらは図に乗りすぎだ。いい加減にしてもらいたい。しょうもないこと思い付きやがって。絶対に許せない。死ねと思う。

私の説はいつも荒唐無稽なので気にしないで下さい。

本日の曲
関ゆみこ
https://youtu.be/ryIkc_iuZCU