集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

滅べ一神教。一元的思考と絶対的思考。

私はたまに5ちゃんで遊ぶが、すると、中には邪悪なホモ・サピエンスは滅べとレスする奴がいる。自分もホモ・サピエンスの一人だから、当然の如く自己破滅に繋がるわけだが、そんなこと言っても全く意味はないが、そいつは馬鹿な左翼だからそんな簡単なことが分からない。左翼が欧米の立場に立って欧米の立場から日本人を非難して優越感に浸る馬鹿がいるが、自分は日本人であることは忘れて、欧米にアイデンティファイして自我を築いてきたのであり、従って、日本人であるが、アイデンティティの根拠が内部(日本)ではなく外部(欧米)にあるのだから、当然の如くアイデンティティの根拠が悪であるはずがなく、善であり、正義なのだから欧米は正義ということになり、馬鹿左翼は正義の立場から日本人を非難してるのだろう。上記のホモ・サピエンス滅べと言ってる左翼は人類嫌いだが、自分は人類の一部とは思っておらず、人類よりも一段と上位に立ち上の立場から人類そのものを非難してるので、日本の左翼と精神構造的には同じである。当人は馬鹿だからそのことに気付いてないに過ぎない。

別に人類は滅ぶ必要はなかろう。滅ぶのは一神教だけで良い。宗教がなくなれば世界平和は実現すると短絡的に考える人間がいるが、これは根本的に誤りであって宗教が滅んだところで別の何かが宗教の代替になるだけであり、全く意味がない。従って、宗教と共存しながら人類平和は可能かと議論した方が良いだろう。今まで、散々宗教に痛めつけられてきたので宗教が滅べば良いと短絡的に考えるだけだろう。過激系ブロガーにも宗教はいらないと考える人間がいるが全く宗教の本質を理解してない短絡的思考に陥ってると言わざるを得ない。

今まで、人類に壊滅的なダメージを与えてきたのは間違いなく一神教だが、仏教みたいな寛容に思える宗教だって争いはしてるわけで何も一神教だけが過激というわけではないが、しかし、仏教が争ったところでたかが知れており、歯止めもかかり、キリのいいとこで終わるのに対して一神教は全く歯止めがかからず血みどろの争いに発展しがちである。一神教は特にキリスト教が酷く、ローマカトリック教会は今まで10億も人を殺しており、ヒトラースターリンポル・ポト毛沢東のレベルではなく余りにも人を殺しすぎだが、ここが一神教の悪いところであり、一神教は余りにも人を殺しすぎる。更に、一神教は一つの世界観であり、物事を一元的、或いは絶対的に見る思考様式であり、これが、いかに問題かはちょっと賢しい人間なら直ぐに分かるだろう。しかし、分からない人間が実際にいて、思考が一元的、或いは、絶対的になっており、そうなると、容易に他者への軽視、見下しに繋がり、そこから、自らの自惚れとなり、一元的、絶対的になってるが故に、信じてる一神教が絶対視されて、他の宗教は下に見られて、見下されて、下なのだから滅ぼしても良いと考えてしまい、実際にキリスト教は世界に壊滅的ダメージを与えてきたわけで、このような世界観を持ってる連中ははた迷惑であり、諸悪の根源であり、滅んだほうが良いだろう。なぜ、思考が一元的、絶対的になるかは、劣等感と被害者意識が強いこと以外にあり得ない。日本人でも、劣等感、被害者意識が強い人間は容易に思考が一元化、絶対化されて、そういう人間は直ぐに自らを絶対化して、容易に他者を見下す。そんな人間はクラスに一人か、二人はいただろうが、大概嫌われて無視されるのがオチである。私の身近にもそんな奴がいたが、基本的に嫌われものであり、友達が少なかった。

或いは有名人の世界を見てみても、思考が一元化、絶対化されてる人間がいる。ミュージシャンならば、ロックが一番優れてるとかロック意外は大したことないと歌っており、前提として他のクリエイティブなものはロックよりも下に見られており、奴等の脳内では、残念ながらロックが一元化、絶対化されている。それは、そいつの脳の中で一元化、絶対化されてるだけであり、勿論客観性はない!ロックが一番と言う人間もいれば(甲本ヒロト真島昌利笑いが一番と言う人間もいて(松本人志)ただ単にそいつの中で絶対視されてるに過ぎない。これはキリスト教並にはた迷惑である。思考が一元化、絶対化されてる人間は容易に他者を見下したり、軽蔑したりして、腹立たしい限りである。私みたいに、何が一番かは人それぞれと相対的に考える人間は実に不利である。松本人志は著書、遺書の中で自分は正しいと思ってるのでブレることはないと語ってたが、人間の正解率なんかたかが知れており、せいぜい5.60%が関の山であり、神ではあるまいし、正解率100%なんてあり得ない。しかし、思考が一元化、絶対化されてる人間はそんな当たり前のことが分からない。一神教がはた迷惑なのはその為であり、甲本ヒロト真島昌利松本人志は悪式、一神教的思考様式にハマってると言えるだろう。松本人志笑いが一番凄いと語っており、そんな一番凄い笑いの中で一番面白いのは俺だから、誰も俺を否定出来ないし、俺は正しいと、典型的な一神教である。甲本ヒロト真島昌利も似たような哀れな一神教的思考様式にハマってるわけで、この手の類の連中は実に問題であり、説得するのは不可能である。私は仏教が好きで、仏教的に相対的に考える為に何が一番かは、常識的観点から言えば、人それぞれとしか言いようがなく、仏教では、なので、仏陀の教えも絶対視するなと教える。これで当たり前だが、一神教的人間には分からない。何故、思考が一元化、絶対化されるのか?最初の一神教ユダヤ教だが、当時のユダヤ人はなぜ一神教を生み出したのか。それは被害者意識が強いからであり、絶対的な拠り所を必要としたからである。唯一絶対の神とか究極の拠り所となるだろう。従って、松本人志甲本ヒロト真島昌利は絶対的な拠り所を必要としたのであり、だから、思考が一元化、絶対化されて、自分の依拠してるロックや笑いが一番と考えるのである。残念ながら客観的ではない。たかだか500グラムの脳が考えることなんかたかが知れており、正解率が完璧なんてあり得ず、なのに、人間は自分が完璧だと勘違いしてしまう残念な生き物であり、科学者は科学が絶対化されてるが、科学について考えるのは人間であるから、科学が導き出した答えが仮に正しくとも科学自体が絶対的な学問ではない。科学が絶対的だと思ってるのはそいつの脳である。そこで、そういう思考に対して仏教が解毒剤となるのだが、仏教が絶対化されたら元の木阿弥であり、意味がない。一神教は思考が絶対化されおり、それが強さであり、実にはた迷惑である。科学も絶対化されており、ただ単に一神教の代替であろう。日本のクリエイターも思考が絶対化されており、日本は一神教化されてるのだろう。一神教が諸悪の根源と言い方自体が実に一神教的であり、一神教に勝つためにはニーチェが言うように怪物退治をするものが怪物にならないようにするためにはどうするかという問題でもあるであろう。心理学者の岸田秀一神教が諸悪の根源だから一神教が滅ぼべはいいんですけどね(笑)と語ってたがこれさ典型的な一神教的思考様式であろう。甲本ヒロトは馬鹿な奴で楽しんだだから自然を破壊してもいいとか馬鹿なことをほざいており、お前を生かしてるのは確実に自然でしょうが、という考えが全くなく、最低の馬鹿にも分かることが分かっておらず、1流大学を出てこのレベルなのだから、頭の悪さが橋下徹ひろゆきと変わらず、全く終わってるがこの手の馬鹿が持て囃されてるのだから日本は終わってると言えるだろう。楽しんだだから自然を破壊しても良いと言うのは、自然や自然に生かされた動物達を愛する人間から楽しみを奪っており、そのことに関して全く配慮がなく、自分が楽しめれば他がどうなろうが知ったこっちゃないのであり、全く馬鹿としか言いようがないが、馬鹿すぎてそのことに気付かない。こいつは、自分が信じるロックを否定されると、あんな気分はもう沢山と歌っており、この世からロック以外のものが無くなっても構わないと発言しており、ロックに興味がない人間にしてみたら実にはた迷惑としか言いようがない。てめえが自然に生かされた存在と知らず、自然を破壊してもいいとか語る癖にロックを否定されると途端に弱くなり、自然や動物が好きな人間を否定してくるせに自分が否定されるのは我慢できず、弱音を吐くのだから馬鹿である。自分が嫌なら他の分野で生かされた人の人生は尊重すべきであろう。とにか自分だけなのである。典型的な一神教であろう。この世から一神教が無くなればいいが、それ自体が一神教的思考様式であり、一神教にならず一神教にかつ道はあるだろうか。難しい問題である。答えはまだない。