集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

死なない程度なら何をしてもOK。誰かの犠牲が必用。悪いことがまかり通る。法的には悪。社会的には善。

昔、私に集団ストーカーの謎に関するこんなヒントがあった。私に対して集団ストーカーの謎のヒントを与えてきた訳だがこのヒントから考えると集団ストーカーの真の目的はやはり人間理解を深める社会実験だとしか思えない。

今日もまた夢を見たが夢の中で私の友人が私に心理学の本を与える夢であった。この夢は集団ストーカーが見せた夢ではあるまいか?やはり、集団ストーカーとは心理学的な実験ではないのか?

死なない程度なら何をしてもOKと言うが実際に死を感じるまで集団ストーカー被害者は追い詰められるわけだがそこまでしても許される理由とは一体何なのか?私は以前思考盗聴器を使えば人間の理解がかなり進むと書いたが(脳の中を読めるのだから当然である)、死を感じるまで精神的に追い詰めると何か分かることがあるのだろうか?しかし、死を感じるまで人間を追い詰めると何か分かると分かってるならはなっから人間のことは分かってることになるではないか。誰かの犠牲が必用と言ってるから誰かの犠牲があるから何か裨益することがあるに違いないし社会的には善なら、やはり、人間理解を深める社会実験としか考えられないのである。思考盗聴器を使えばとんでもないレベルまで人間理解が進むのは確実だから被害者は可哀想だがある程度の犠牲は致し方がないと考えてるのではないか?だけど死なない程度なら何をしてもOKと悪いことがまかり通るとあるから他の理由があるような気もする。あるイギリスのミュージシャンから、ステレオタイプと仄めかしがあったから、ステレオタイプとは固定観念に囚われてることで私はそれまで集団ストーカーとは邪悪な犯罪だと考えてたからそれは間違ってたのだろう。最初は被害者は集団ストーカーは邪悪な犯罪と考えて当然だが。だいたいが、世界中にこれだけ被害者がいて街宣とかネットを使って被害を訴えてるのに誰も見向きもしないとか逆に怪しいではないか。私は以前から集団ストーカーとは誰もが知る犯罪と書いてきたが誰も見向きもせず誰も知らないとか逆に私の説が正しいと証明することにならないか。集団ストーカーとはいつ、どこに誰といても被害に遭うのだし、たまたまそこにいた奴が集団ストーカーしてくることもよくあるので誰でも集団ストーカーを知ってないと不可能な犯罪なのである。たまたまそこにいた奴が集団ストーカーに加担する場合は音声送信の指示に従って集団ストーカーするとしか考えられず、その場合予め音声送信兵器の存在を知ってる必要があり、音声送信兵器の存在を知らずいきなり集団ストーカーから指示があったら混乱してしまうので予め集団ストーカーと音声送信兵器を知っとく必要があるのであり、集団ストーカーに加担する人間の数が尋常じゃないので誰もが集団ストーカーを知っとく必要があるだろう。指示する側の集団ストーカーだって、あいつは集団ストーカーを知ってるから指示を出せるとか考えてやってるはずはない。集団ストーカーを知ってる人間をいちいち覚えてる筈はないのだから。だから、被害者がどこにいても誰といても集団ストーカー出来るようにする為に被害者予備軍以外は集団ストーカーを知っとく必要があるのである。しかも、被害者が3次元的にどこにいるか把握してないと不可能な犯罪であるために集団ストーカーに加担する人間は思考盗聴しながら集団ストーカーしてることになる。従って普通の人達は音声送信兵器と思考盗聴器の存在を知ってるのである。初めて思考盗聴器の存在を知ったときはどう思っただろうか。誰もが集団ストーカーを知ってるのは確信的にそう思う。

悪いことがまかり通ると誰かの犠牲が必用と法的には悪というのはだいたい同じことだが、それが社会的には善であるらしいのである。誰かの犠牲があるからある特定の人間だけではなく、全人類レベルで利益があるのではあるまいか。社会的には善ということは社会全体に裨益することがあるのだろう。集団ストーカーとはそういう犯罪なのだろう。それは一体何か。どうしても私はキーワードは思考盗聴器にあるとしか思えず思考盗聴器を使った社会実験としか思えないが、集団ストーカーはとにかく特殊な犯罪だから、常に自分の説は()に入れて考える必要があるだろう。改変の余地は常にあると。仮に社会実験だとしたら死なない程度なら何をしてもOKと言ってるからなかなか過激な社会実験である。中には悲しんで泣いてる人間もいるから傷ついている人間もいるのは事実である。しかし、中には笑ってる人間もいてそんなに深刻になる必要もないよと考えてる人間もいるようである。誰かが悲しんで泣くほどのことをしても社会的には善であるらしいのである。昔、TBSの社員が私に「分かればああ、そういうことだったのかと納得出来る」と仄めかしてきたがこれは集団ストーカーの指示に従ったのか、或いは自ら発言したのか?それは分からないが私は自ら発言したと考える。タイトルのヒントもブロガーとか掲示板とか有名人からあったヒントだが自ら私にヒントを与えてきたのではないか。集団ストーカーとはある程度ならその真意を知られても問題なく、ある程度なら加害者じゃなくてもヒントを与えても良いのではないか。分かればああ、そういうことだったのかと納得出来るならその可能性があるだろう。以前思想家の内田樹から虐め供儀説のネット記事があり、これは集団ストーカーを虐めに置き換えた私に対するメッセージではないかと思った。供儀とは生贄の儀式のことだが集団ストーカーにはそういう要素もあるのだろうか。虐めはいつか終わると書いてたから集団ストーカーもいつか終わるだろうか。

実際のところ、私には集団ストーカーの謎の答えが全く分からない。皆さんも上記の集団ストーカーが私に与えたヒントを元に集団ストーカーの謎について考えてみて下さい。確信が持てるまで自分の説を絶対化せずに常に改変の余地はあると()に入れて考えるのがいいでしょう。思考の絶対化こそ諸悪の根源なのだから。