集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

【人生の意味】辛い人生を生きる我々に人生が何を求めてるのか考えてみる

我々集団ストーカー被害者に生きる意味などあるのだろうか。したいことも許されず、親も集団ストーカーに加担して友達も加担して、恋人がいる人間は恋人も加担して、誰とも親密な関係を作れず、被害者仲間が出来ても関係を裂かれてしまう。私には今まで気心の知れた何でも話せる間柄の被害者仲間がいたのだが、女性だったが、彼女は携帯を集団ストーカーに乗っ取られたとかでアカウントと電話番号を変えてしまい連絡取れなくなってしまった。これで、私は完全に孤立化したわけである。集団ストーカーは被害者を孤立化してくるから孤独に生きる被害者は多いだろうが、気心の知れた何でも話せる間柄の被害者仲間がいなくなってしまったのはかなり悲しいことである。その女性とは辛いことや悲しいことを話したり、愚痴をこぼし合ったり、政治のこととか宗教のこととか議論したりしてかなり貴重な存在であった。ストレス発散にもなったし、何よりも孤独感を癒せるのはかなり大きかった。他に本当にたまにメールのやり取りをする被害者が2人いるが本当にたまにであり、その女性被害者を失ったのは本当に大きな損失である。

毎日がつまらなく、嫌がらせは苦痛で辛く生きることに全く意味を見出だせない。こんな人生を生きるくらいなら死んだほうがマシだ。実際に集団ストーカーに寝てる間に殺せよと言ったこともあるが、集団ストーカーは決して殺さずチマチマ嫌がらせをしてくるだけだ。こんな人生に何の意味があるのだろうか。どんな人生にも意味はあると言う人間がいて、それはアウシュヴィッツから奇跡的に生還したフランクルだが、恐らく人生の意味ある無しとは全て主観的なもので意味があると思えば意味が発生して意味がないと思えば発生しない。それだけのことで、別に両者の答えに客観性はないだろう。従って、無意味感に囚われてる集団ストーカー被害者は多いだろうが、人生に意味があると思えば意味が発生するのだ。意味があると考えた場合はフランクル的に人生に何かを期待するのではなく人生が自分に何を求めてるか考えてみる必要があるだろう。日々つらい目にあい、生きる意味を損失するも、そんな人生を生きる我々に人生が何を求めてるか考えてみるのだ。そうすると生きる指針が生まれるだろう。勿論一生集団ストーカーが終わらなかったとしたら何の意味も見出だせなくなるが、仮に終わらないとしても、私みたいにブログ等で、自身の得た経験を元に人生経験を書けば人を勇気付けることなどできるだろう。日々死にたくなるくらいつらい目にあってもそんな人生に意味を見出だせれば何とか生きることは出来る。皆さんもフランクル的に人生が自分に何を求めてるか考えてみてはどうだろうか。

フランクルの夜と霧はアウシュヴィッツの地獄から生還するまでを書いた名著であり、人生の意味について考えさせられるので読んで見てほしい。