集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

いちいち神経を逆撫でしてくる集団ストーカー

前回の記事で松本人志さんのことを書きましたが、この松本人志さんの発言は本物の被害者の人達を非常に勇気づけたかと思います。
第一にこの犯罪は多くの人間が知っていること、(松本人志さんだけが知っていて他の人間が知らないなんて、ありえない)

第2に我々被害者が、どれだけ辛い目にあっているかを分かって貰えていること

第3にこれはカルト犯罪でもなく、ましてや陰謀論的犯罪でもないことがわかったこと。

被害は本当に辛く泣きたくなることもあるし、はらわた煮えくり返り堪忍袋の尾が切れることもありますが、とにかく、分かってくれている人がいるだけでも気は大分紛れたかと思います。

無論中には『何が誰かが犠牲にならなきゃ』だと憤慨する人もいるかと思いますがとにかく、分かってくれる人間が一人でもいるとわかっただけでも非常におおきい。

そんな折に今日私に向けて『見せしめ』という仄めかしが一般の学生の会話からありました。

み・せ・し・め・。

見せしめだと、たしかに私は度を越えた悪口を言ってもきたし、少なからず騒音被害を出して周りに迷惑をかけたのは事実です。
その点は非常に反省して今では大分言葉を慎むようになったし、謝罪だって何度もしてきました。(納得出来なくてもいいから謝れという仄めかしがあった)
被害年数も25年も越えてありとあらゆるものを犠牲にしてきました。個人的主観的認識では、神に訴えても勝てるぐらいの辛い目にあったきました。

なのに、そんな辛い目にあっている私に対して見せしめだと、納得出来ない。磔は十分承けてきた。
もうたくさんだ。確かにひどいこともしてきたのは事実であるが此方も、もういい加減いい歳だしこの辺で止めにしてもらいたい。
残された時間は少ないんだから、そんな俺に大してみ・せ・し・め・。だと、これでは。ますます納得出来ないdeはないか。

集団ストーカーの嫌がらせは、良い気分んでいるときにその、良い気分を打ち消すような嫌がらせをしてくることがあってこれもその一環かもしれないがこれでは余りにも惨すぎる。

早く被害が終息して安静した日々を送りたい。
そんな被害者の想いを打ち消すような仄めかしです。

我々被害者の願いはただひとつ。
被害が終息して安静な日々を取り戻すこと。

被害が終息すればとれだけ素晴らしいだろうかと毎日考える。

早く終わってもらいたい。全ての被害者の、切なる願いであります。

我慢もいよいよ限界に達してきたので。どうか。早く終わってあげてください、宜しくお願い致します。

因みに松本人志さんからは、まとはずれという仄めかしがありました。私の分析は的外れなのでしょうか。

アリスクーパーの、ラストテンプテーションを聴きながら投稿。高校の頃を思い出す・・・ああ、懐かしい・・・

もう何も知らなかったあの日には戻れないのですね・・悲しいものです。

だれかが犠牲にならなあかんこともあるんや、という松本人志からのメッセージ

タレント、メディアからの仄めかしが大量にあるとこれは自分にも向けた仄めかしだなとわかるようになる。
上のタイトル、誰かが犠牲にならなあかんこともあるんやという、仄めかしも自分に向けられた仄めかしだと直ぐに気付いた。
なんで被害がこんなに長くつづくんだろうと不満をよく口にしていた時期と重なるからでる。

誰かが犠牲にならなきゃいけないという言うことは、我々被害者の影で別の誰かのためになっているということである。
ただの犯罪行為ではなく何か深い意味のある犯罪的行為であることは確かだし、そうでも思わないとやってられないし、したいことも出来ずにただ被害に甘んじてるだけで特になんの意味もない犯罪行為だったらやりきれない。
ただの暇潰し程度の意味しかない犯罪行為だとすれば、我々被害者の人生は全く報われないものになってしまう。
一体何の為の苦労だったのだ、その程度の意味しかない犯罪的行為だったのか、われわれ被害者の払った代償に全くみあってないではないか。
ということになってしまったら発狂ものである。

誰かの役にたっている。そうでも思わなければやってられない。余りにも膨大な時間を犠牲にしたのだから。時間も、友達も、恋人も、金も犠牲にしたのだから。

集団ストーカー電磁波犯罪。
一体誰が何の目的で発明したのか、今はまだわからないけど我々被害者の人生が意味ある事に使われていると願って止まない。

奪われた時は取り返せず、人生やり直しが効かないのだから・・・・せめて意味のあることに・・・

終わらないことと口の悪さ

この被害にあえば誰だって文句の1つや2つ言いたくなると思います。
とにかく、腹の虫が治まらぬことばかりですから。そして、嫌がらせの数々がこちらの神経を逆撫でするような心理的な嫌がらせばかり。

そうするとこちらも同害復讐の原理、目には目を歯には歯をの原理によってやられたことをそっくりそのままやり返すわけでありますが、コレがどうも良くないことらしい。

フィリピンの大統領ドゥテルテのからの仄めかしに『悪い言葉はもう使わないからもう許して』というものがありましたが前にも書いたとおり警察官の人からも悪い言葉を使うなとおとがめがありました。

私が被害者であることが警察官の人達にもちょと、うんざりすることのようでむこうも必死な感じでありました。

悪口が激化するようになったのは脳の中を読まれているんじゃないかと疑うようになってからであります。

頭の中で考えたことや家の中にいて喋ったこと等を仄めかされるようになってから思考盗聴を疑い、心の中にある種の視点が植え付けられてしまった。
そうすると、心の中で考えてこちらが不利なこと具合が悪いことなどを思わず考えてしまったら必死で抑圧しにかかります。
すると、ある種心のリバウンド現象が起きてより過激になって心の中で考えた悪いことが表に出てきます。
必死に押さえにかかったものが抑えがきかなくなり巨大なマグマのようになって噴出するようなものです。

例えばゲームをプレイしているときなど、『このゲームつまらないな』と感じたら、ストレスは溜まるものの普段なら特に不満は口に出して言うことはありません

ですが、脳の中を読まれていると考えてはいけないこと、『このゲームはつまらないな』とかんがえてしまったら、その考えを心の中で考えないように必死に押さえにかはかります。
ですが、けっきょく抑圧の壁を破るようにさらに過激な表現となって頭の中で考えたことが表に出てきます。
『なんだこのクソゲーは』『こんなクソゲー作るために金かけてんじゃねえ』と、頭の中を読まれているストレスは半端ないですから、それは凄い悪口となって口にでてしまいます。

私としては、心の中を読まれている圧倒的に不利な状況下では多少のことは供容の範囲内というか、ある程度は許されるものと思っていましたが、どうも悪口はアウトのようです。

警察官の必死さ、ちょっと怒っている感じからいっても私の態度のわるさにどうも問題があるようなのです。

しかし、こちらの被害もかなりとんでもなく長いし常人を逸しているとしかおもえない嫌がらせに数多くあってきたので嫌味の1つでも言いたくなるものです。

毎日続く嫌がらせに文句ひとつ言わずただ耐えてれば被害は終わるのでしょうか。最近では私は悪口も自重し昔に比べて大分大人しくなったつもりですが、嫌がらせが終わる気配は全くありません。

度を超えた嫌がらせ2

この集団ストーカー犯罪のパターンは大別すればだいたい2つに分けられる。

まずは第一にに物理的な嫌がらせ。電磁波攻撃など身体を痛め付ける嫌がらせから、わざとぶつかってくるコリジョンキャンペーン、
睡眠妨害、経済的窮地も物理的な嫌がらせの一種と言えるだろう。

第二に心理的な嫌がらせ。嫉妬させる、劣等感を持たせる。自分は普通の人間より劣っていると思わせる。お前は誰かに笑われてるぞ、条件付け、アンカリング、期待をぶち壊す、未來に絶望感を抱かせる等、これらの嫌がらせは被害者のことを心理的に追い詰めている嫌がらせといえよう。

今回の話は第二の嫌がらせの心理的操作についてである。

まずはある特定の人物の植え付けから始まった。様々な手段を用いてその人物の事を私の心奥深くまで植え付けてくるのである。

音、光、物、動物、数字、などあらゆることに関係を持たせながら植え付けてくるのであった。物音や、ある特定の数字、動物などを眼にしたりすると、その人物が想起されるようになっていた。

TVに走る物音もその人物が想起されるようになっているもののひとつであった。何度も何度もTVに物音が走る。そうすると、その人物が亡霊のようにテレビの前にたっているような錯覚に襲われるようになってしまった。

TVの目の前にその人物が立ち私の事を常に監視しているのであった。

そして、第二に感覚送信兵器を用いておまえはつねに誰かに笑われてるぞという感情を送信してくるのであった。映像送信兵器も併用された。2ちゃんねるでよくつかわれる
WWW(人を小馬鹿にするときに使われる表現)を送信してくるのであった。
外出先でもライトや車のナンバー等を見るとその人物が想起された。私は窮地に立たされた。家の内外でその人物に監視されているような感覚をモツヨウニなってしまった。

そしてさらに、感覚送信兵器と映像送信兵器との併用による嫌がらせを受けて私完全にはパニックってしまった。

嫌がらせに耐えきれず、絶叫し物に八つ当たりするようになってしまった。そうすると、私に植え付けられたその人物が、そんな自分を嘲笑っている映像が送信されてくるのであった。

私の我満は限界を越えていた。絶叫し、床を踏み鳴らし、壁や冷蔵庫に蹴りを入れる。外でも物に八つ当たりした。同じアパートに住む住人から苦情がきた。
その苦情を入れに来た人物は私が何故絶叫し、大暴れしているのか知っているようであった。

前に書いたが警察に連行されて強制入院したのは、この嫌がらせにあったあとのことである。 何故ここまで壮絶な嫌がらせをするのかは全く謎である。この嫌がらせ中に松本人志から亡霊の仄めかしがあった。
強制入院と口の悪さの項でも書いたと思うがこのときである。警察から集団ストーカーの事を悪く言うなという言葉があったのは。

とにもかくにも余りにも謎の多すぎるこの犯罪。早く終息してもらって平穏な日々を送りたいものである。

引っ越し、豚小屋で暮らす毎日

何度も引っ越しさせられる話は前に書いたが、今暮らしているアパートは非常に狭く窮屈なところです。
押し入れもなく若干大きめの衣装ケースが置いてあり、ユニットバスのシャワーはぶっ壊れて使えません。
普通アパートは退去者が出たら次の入居者の為に、部屋の中は隅々まで綺麗に清掃してあるものですが、ユニットバスは汚れが媚りついており、綺麗に清掃されていません。

押し入れもないので部屋の中は段ボール箱で溢れかえっており、視覚的にも非常に窮屈で住み心地はお世辞にも良いとは言えません。

この被害にあうとせめて家の中だけでも揺ったりと快適にくらしたいと思うものですが今はその希望すら叶いません。

鬱気味です。何もするきがおきません。風呂場も使えないので台所で身体を洗っています。非常に不愉快であります。
たまに、自殺のことも考えます。

自殺は負けと言うことばが松本人志の発言にあり、賛否両論繰り広げられていますが、自分は肯定も否定もいたしません。

早く終わってもらいたい。早く快適な暮らしを送りたいという希望が消えて無くなることは1日たりともありません。
一日でも早い終焉を望んでいます。今日こそは終わる、今日こそは終わるはずだと祈りながら外に出掛けます。

しかし、そんな期待をぶち壊すように今日も救急車のサイレンが鳴り響きます。ああ・・・・

度を超えた嫌がらせと被害年数の長さ

この犯罪の最も不可解な点に度を超えた嫌がらせと被害年数の長さがあげられよう。
被害年数は25年にも達し、しかも
一般の関係のない第3者まで巻き込んでしまうのである

第3者を巻き込んでしまうもので一番迷惑なのはもちろん騒音被害だがその他様々な人間を動員、協力加担させる嫌がらせがありこれらのものは被害者は勿論だか、近隣住民、加担協力させられている人にも迷惑である。

騒音は、単純にうるさいし人によってはやり返す人間もいるからその応酬でさらに近隣に迷惑をかけてしまう。加担要請された側は単純に面倒くさいなど

私の場合初期の頃は主に騒音被害が酷く物音がちょっとしたものでも気になってしまうほど、随分長いこと騒音被害に苦しめられ、いわゆるトラウマレベルまでなってしまったが、
この騒音被害、あまりの物音のすごさに周りにも迷惑をかけてしまうのである。
私は短気で切れやすい性格の為、やられたらやり返すことがしょっちゅうあり、騒音の応酬で周りの人達に迷惑をかけてしまったことがあった。

ある時等巻き込まれた第3者に私が攻撃されてしまうことがあったが我慢も限度を越えたのであろう。

先に書いたとおりこの犯罪は全ての人が知りうる所のあるものであると思われるので何か納得のいく理由があるはずであるが、被害年数の長さもそうだが騒音被害など納得のいく理由がみつからずちんぷんかんぷんである。

一番納得がいかないのは被害年数の長さで、膨大な月日を無駄に過ごしてしまったこと。失った日々はもう2度と戻らない。余りにも長い月日を被害から逃れることだけに費やしてしまい、この被害に遭わなければ
出来たであろう数々のことを思うと気持ちもげんなりしてくるし、ゲロ吐きそうになるが、いずれにせよこの被害者に選ばれてしまった以上、現実を甘んじて受け入れる他なく、早く事の真相を知って被害が終息してもらいたいものである。

人生一度きりしかないっていうのに

この犯罪の被害者に選ばれるとやりたいことがまったく出来なくなってまう。

いつも被害におわれてどうすれば切り抜けられるのか、どうすれば終わるのかかひたすら考えて翻弄する毎日。

俺も不通の人達が享受している普通の人生を生きたい。ささやかな幸福を手に入れたい。

しかし、願いはことごとくいつも展開される賎しい嫌がらせに潰されてしまう 。

ああ、まだこの被害はつづくのか、いつものように目の前で展開される、アンカリング、ストリートシアター、コリジョンキャンペーンなどに遭遇すると思う感慨である。
普通の人達が普通に生きることの出来る人生がどれだけ貴重で価値のあるものなのか、この被害にあうとよくわかる。

我々被害者の願いはただ一つ普通の人生を送れるようになること。
異常な日々を毎日過ごしている人間のごく当たり前なささやかなねがいである。

人生一度きり。取り替えもやり直しもきかない。こんなしょうもない毎日を過ごして人生を棒にふりたくない。人生を無駄な時間で潰すわけにはいかない。

歳も歳だし早く犯罪が終わって普通のありきたりな毎日を過ごしたいものである。