前の記事で書いたことは多分殆どの人に意味不明な記事だったと思うがこの個人的問題は言葉で説明するのが難しい問題なのである。
個人的には集団ストーカーと関連があるとおもっているのでなるだけ分かりやすくこの個人的問題のことについて語ろうと思う。
ある友人と不仲になってしまったときのこと。
その友人が突如人格攻撃をしてきたのである。
私は酷いショックを受けた。
その時に出来たトラウマが心の奥深くまで浸透して内側から私の事を支配するようになってしまったのである。
それから、彼の悪口と共に彼の視点が心の中に残ってしまった。
彼は私にありとあらゆる観念群を植え付けてきた。そして、その観念群が心の中で視点に変質し私は24時間彼に心の中を監視されたような状態になってしまったわけである。
生き地獄であった。何をするんでも、何をやるんでも、何を観ても彼の視点が邪魔をするのであった。
私の心の中は彼の事で一杯であった。彼以外のものは何一つ一切受け付けなかった。喜びも悲しみも苦しみも憎しみも何一つ受け付けなかった。
私の中では彼が全てであり、いつ何時いかなる時でも彼の視点が消えることはなかった。アメーバやスライムみたいに常にまとわりついてくるのであった
。
生き地獄でしかなかった。何も楽しめない、感動も出来ない、ネガティブな感情ですら素直に感じることが出来なかった。
一種の自閉症のような状態になってしまったのであった。
これは間違いなく一生ものの大問題で完全な解決は永久にみないであろうが、そこに集団ストーカー問題が覆い被さってきたから大変である。
集団ストーカー問題を解決しようとすると此方の個人的問題の方に足を引っ張られるのである。そして個人的問題を解決しようとすると、集団ストーカーに邪魔をされる構造になっているのであった。
わたしは行き場をうしない、にっちもさっちもいかない状況に放り込まれた。
とにかく集団ストーカーは早く終わってもらいたい。問題もどちらか1つ片付けばだいぶ楽になるであろう。
20数年間死んだように生きてきて今更ながらこうして誰かに語ることが出来るようになったのは大きな進歩である。私にトラウマを植え付けてきた友人の不満を語ること事態が禁止事項だったからである。
しかしよく考えるとこの視点の問題。集団ストーカーとそっくりである。一種のモラハラだが構造的に似ている。
かれの取ってきた手法はカルト宗教そっくりだったし集団ストーカーも似たようなものであるが人格破壊、アンカリングつまり印象付け、飴と鞭を使い分け持ち上げては落としそして24時間監視する。彼が私にしてきたことそのままである。
それで私が彼にぶっ壊されておかしくなってから葬式の仄めかしがあった。これは私の精神的な死を意味していたのではなかろうか。
実際に学校の先生が亡くなって黙祷を捧げたことがあったがその時黙祷を捧げる生徒達はなぜかクスクス笑っていた。人が死んでるのに笑うなんて、なんて不謹慎なと思ったが今にして思うとあれは私の事を笑い者にしていたのではないかと思えてくる。
とにかく余りにも迷惑千万、理解不能なことが立て続けに起こるこの犯罪。早く目的を教えてもらって終ってもらいたいものである。