集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

リアル自殺強要ストーキングなわけなんだがw

集団ストーカーの被害にあって自殺を考えたことのない人間は圧倒的に少数派でしょう。理由は人によって様々でしょうが私も自殺を考えたことがある人間の1人である。

生きてても楽しいことなんか何もないし辛いことばかりだから当然自殺を考える。いつ終わるか分からない拷問に耐えながら今日こそは終わるだろうと期待し、家を出るがその希望は毎度のことながら繰り返される様々な嫌がらせによって、潰されてしまう。

若い頃に1度首吊りを試したが失敗におわった。

若い頃と歳を取った今では自殺願望の理由が変わってくる。若い頃はただ単純に嫌がらせが辛いのと、人生がつまらなさ過ぎるので自殺をしょっちゅう考えていた。歳を取った今は嫌がらせの頻度は減ってそれはいいのだが、その代わり歳を取りすぎ、出来ることがかなり限られてしまったことが自殺願望の理由にあげられる。

若い頃は孤立された状態に追い詰められ、したいことが出来ず、今は孤立された状態はかわらずで歳のせいでしたいことが出来なくされてしまった。
もちろん嫌がらせそれ自体が障壁となってしたいことが出来ないということもあるが、やはり人間歳には勝てず、何も出来ずに過ぎ去った日々がげんなりと甦ってくる。

したいことがかなり限定されている中でもうちょっと積極的に行動に移してれば多少は違ったかもしれない。多少は人生を楽しめ後悔は今よりも少なかったかもしれない。

他の被害者の人達が日々何を思い、どうやって集団ストーカーに対処しているのかは知らないが、どこに行っても誰といても嫌がらせに会うのだから出不精になっているのかもしれない。

実際本物の被害者と思われる方のブログで外に出るのが億劫になると書いてある記事を読んだことがある。私の場合は逆で多少の嫌がらせはあっても太陽の光を浴びたくてどちらかというと積極的に外に出てくのだが、他の被害者の方はどうであろうか。
日の光を浴びなかったり身体を動かさないと気分が悪くなる。


集団ストーカーはただの犯罪行為にすぎずそれ以上でもそれ以下でもない。決して許されない犯罪である。それは当然、被害者の脳裏に自殺が過るだけでもアウトだろう。しかし、何故か許されてしまう糞みたいな犯罪集団ストーカー。何故許されてしまうのか知らないが、罪は罪である。集団ストーカーを裁きたい。

もし、仮に私が自殺をしたら、集団ストーカーはどうなるのであろうか。その罪を問うことは出来ないのであろうか。罪に問うことが出来ないとすると、他の被害者の人達は相変わらず嫌がらせに耐えるだけの毎日であろうか。

今は毎朝目が覚めるとどうしょもない絶望感に襲われ深い溜め息が漏れる。時は一時も止まらずに過ぎていく。歳もどんどん取っていく。出来ることも限られていく。何で終わってあげないんだ。四半世紀も集団ストーカーと共に過ごして来たのだからもう終わってもいいだろう。

仄めかしかどうかは知らないが松本人志からもやもやすると言う言葉があった。これが、仮に嫌がらせの終わらない原因の1つで、仄めかしであり、すっきりさせた状態で集団ストーカーを終わらせたいのだとしたらどうであろうか。

そんなこと知ったこっちゃない。向こうの理由なんかどうでもいい。被害者の人生を尊重すべきだし、すべきである。とっとと終わってもらいたい。もう苦しみはたくさんである。磔は充分過ぎるほど味わってきた。仮に犯罪が終わっても日々の日常の中で自殺が頭を過ることもあるだろう。それは当然で失った過去は返ってこないし、未来の人生はもう短い。人生を楽しむには歳を取りすぎた。何か楽しいことや嬉しいことがあっても過去の後悔が頭をもたげるだろう。この先私が人生を楽しめることはなく、人生を謳歌することもないであろう。