集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

どうやっても終わらない。 集団ストーカーはもううんざり。

うざい、しつこい、気味が悪い、気持ち悪い。
もう二度とこんな奴等とは関わりたくない。

そりゃ当然。犯罪の内容は気味の悪いものばかりだし、人生をこいつらの都合のいいように操られ、利用され、破壊される。ここまでされたら誰だって性格が歪むだろう。歪まないにしても自分の中の何かが変質するであろう。

なぜ、我々被害者だけここまで人生を奪われ破壊されなきゃならんのだ?自由は奪われ、嫌なことを強制され人生の貴重な時間をしたくもないことに費やさなきゃならない。

駄々広いこの大宇宙の中のちっぽけ惑星のちっぽけな国で生きるたった1度きりのかけがえのない人生。人生の価値はかけがえのなさの中にこそある。この瞬間瞬間が取り返しのつかない、貴重な時間である。今を懸命に生きろとよく言われるが、それはまさにその通りで自分と同じ命も人生もなく、この先産まれることもない。まさに、人の命とは、人生とはかけがえのない瞬間瞬間の連続である。1分1秒も無駄に出来ない。今を懸命に生きる他にない。それなのに何故集団ストーカーのアホ共に貴重な人生の時間を売りとばさなきゃならんのだ?こいつら集団ストーカーだって、人生の価値ぐらいはよっぽどの馬鹿じゃない限りわかるだろう。

いじめはまだいい、人生の辛い記憶、悲しみもよっぽどトラウマティックなものでない限り時とともに流れ去っていくだろう。

だがしかし時間だけはどうにもならない。失った時間はだけはどうやっても取り戻すことが出来ない。トラウマよりも厄介な問題で、仮に全てが終わったとしても過去を振り返る度に自殺ものの虚無感に襲われるだろう。

こいつらだってそれぐらいはわかってんだろうが!
1番の罪は人の命を奪うことである。2番目の罪は時間を奪うことである。命と同様時間も1度失ったら2度と取り戻せないからである。本当に罪深い犯罪であると思う。

終わらないことの理由の1つに私の口の悪さがあげられるが、悪口を言うのと時間を奪うのとではどちらが罪が重いのか。当然時間を奪う方が罪は重いが、まさか、私の悪口で自殺を考えるくらいのショックを受けた人間がいたのであろうか。或いは、罪を感じて実際に自殺をした人間がいたのであろうか。

随分前の記事に甲本ヒロトからの仄めかしに「僕は口の悪い人は助けないよ」というものがあったと書いたが、此方は被害歴25年である。この25年の間にあらゆる苦しみを味わってきたし、この25年の間に出来たことも沢山あったであろう。

私の悪口が罪で終わらないことの理由の1つならば、私は懲役25年集団ストーカーの刑の受刑者である。罪はもう充分過ぎるほど償った。こいつらにとってみたら、私の悪口なんぞ痛くも痒くもない蚊に刺された程度のものであろう。


私の人生は奪われたまま未だに返ってこない。

ひょっとしてこいつらの目的は私に絶望を与えることかもしれない。晴れて集団ストーカーとお別れというわけにはいかず、人生の貴重な時間を奪い絶望感を与えたまま集団ストーカーのない世界にほっぽり出されるのだろうか。集団ストーカーが終わった代わりに今度は時間を奪われた後悔と悔恨の地獄の中で生きることになるのである。

とにかく、終わって絶望、終わらなくて絶望の私の人生。

こいつらだけはどうしても許し難い。