集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

もういいだろう

集団ストーカー被害歴25年、もうこの辺で終わってもいいだろう。

私は自分の人生を振り返ると集団ストーカーなしでは人生を考えることができず、人世の四半世紀を集団ストーカーと共に歩んで来た人生であった。

集団ストーカーのない人生に想いを巡らしてみると実に素晴らしく光輝く人生が想起され集団ストーカー被害にあっていない人間が羨ましく、憎らしくもある。

集団ストーカーの意味がなんであれ、それは価値のあるものだろうが私達被害者にとってみたら死活問題であり、1日1日を生きるのに精一杯で死ぬほど苦痛な毎日を生きることを強いられ振り返って見ると、膨大な時間を犠牲にしたのであり犠牲にした時間はどうやっても取り戻せず深い悔恨の念にかられる。

集団ストーカーの被害にあっていなかったら友達がいて、結婚をし今頃自分の家族と共に幸せな時間を過ごしていたのかと思うととてもやりきれない気持ちになり、集団ストーカーを恨めしく思う。

今はもう肉体的にも精神的にも限界であり、何度も集団ストーカーを止めてくれと訴えてもこちらの願いは虚しく、今日も外出先で救急車三台に遭遇し、ああ、まだこの犯罪は終わらないのかと自覚し深い絶望感にかられる。

一体いつになったら終わるのだろう。終わる条件はなんなのだろう。私以外の被害者でも被害年数が10年20年越えてる人間はざらにいるだろうが、集団ストーカーと共に歩んで来た25年を振り返って見たときに、あまりにも惨めで虚しく深い悔恨と絶望に襲われ、人生一度きりというこの圧倒的現実を前にした時に恐ろしいほどの焦燥感にかられる。

もうこの辺でいいだろう。私は十分過ぎるほどはりつけを味わってきた。もう疲れた。いい加減に終わってもらいたい。