集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーさえなければなあ

人生は十人十色。色々な人生がありみんなそれぞれが自分の考えに従って自分の人生を生きてるだろう。自分には自分の人生があり他人には他人の人生がある。互いにそのことを尊重して押し付けがましくならず生きていきたいものである。

どんな人生も苦悩とは多かれ少なかれ無縁ではないだろう。人は幸福になるために産まれてきたと言う意見もあるが、そんなことはない。どうやっても幸福にはなれない地獄のような人生を生きてる人間は沢山いるし、自分1人ではどうやっても打開出来ない大きな壁に直面している人間もいる。安易に幸福になるために産まれてきたなんて言うべきではないと思う。

我々集団ストーカー被害者も非常に辛い人生を歩む事を強いられている。もしも集団ストーカーの被害者に選ばれなければこんなに辛い目に会わずにすんだと憤慨している人間も多いことだろう。

こと私のことに関して言えば私は個人的に非常に難しい問題を2つも抱えておりこっちの方に対処するのも辛いのに集団ストーカー問題も重なってきたから堪らない。
集団ストーカーがなければまだ幾ばくかの人生の自由があり、今よりは遥かにましな人生を歩んでいたであろう。
友達と遊んだり彼女を作ってデートをしたりetc
友達との楽しい想い出もあるし私の事が好きな女と遊んだ想い出もある。
それは10代の頃の事で20代はまさに暗黒時代であった。
被害が深刻化し、私は常に1人で実に寂しく絶望的な20代であった。もう2度とあんな悲惨な目にはあいたくないが今だって最悪の事には変わりなく悲惨な人生を歩んでいる。

個人的に抱えてる難しい問題、それは親と友達との関係の中から生まれた問題で一生ものの問題と言ってもいいくらいの問題であった。それでも先に説明した通りまだ、幾ばくかの精神的余裕があり人生を楽しめる余地はあった。
しかし、そこに集団ストーカーが覆い被さってきたから事態は深刻である。何かいつも同じような事ばかり語って恐縮だが、私にとってはどれも同じくらい大きな問題で特に集団ストーカーは最大級にどでかい問題なのである。

集団ストーカーさえなければ今よりもまともな人生を歩んでいたとよく思う。深いため息が漏れる。訳もわからず被害者に選定されて苦悩に満ち溢れた人生を歩む。一体我々が何をしたと言うのだろう。若い頃は漠然と恋をし結婚して幸せな家族を築くとものだと思ってた。ところが、今の無様な様はなんだろう。友達と疎遠になり家族も失い私はいつも1人である。毎日が退屈で苦痛でつまらん人生である。

集団ストーカーさえなければ、こればかり考える。友達は失うわ、家族は失うは、引っ越しは何度も繰り返しボロアパートに住まわせられるはで全くもって良いことがない。最悪である。

10代の中頃から始まった集団ストーカー。10代の頃は嫌がらせは騒音だけで対人関係破壊工作はなかった。なので楽しい想い出も一杯ある。今の最悪な状態と比較してあの頃は今よりも輝かしいというほどではないが楽しいことが一杯あった。全てのことは関係性の中から派生するから若い頃と比較して余計に今が余りにも辛く惨めである。

集団ストーカー被害者も何度も自分の人生を反芻して、生きることの意味や価値について考えるのではないか。というか考えざるをえないのではないか。

現実は辛い。集団ストーカーは現に存在していて我々は被害者なのだ。その現実はどうやっても変わらない。集団ストーカーを思い付いた奴を恨んでも現状何も変わらない。なんで毎日毎日、嫌がらせにあわなければならないのだろうか。集団ストーカーさえなければもっとまともな人生があったろうに。全くやってられない。集団ストーカーを行使してる側は罪悪感や負い目は持たないのだろうか?私だったら他人の人生を潰す悪事には耐えられない。罪悪感や負い目とは無縁でいられないだろう。そこは何か罪悪感も負い目も持たずにすむ深い意味でもあるのだろうか?
一般人を観察してみるとドン引きしてる者や悲しそうにしてる者や笑いを堪えてるもの等色々であるが中でもドン引きしてる者に出会うのが一番怖い。また何か嫌なことが起こるのではないかと勘ぐってしまうからである。

集団ストーカー電磁波犯罪、一体誰が何の目的で思い付いたのか今はまだ謎だが事の真相を知らされた時に納得のいく解答は得られるのだろうか?それはその時が来てみないとわからない。早く目的を教えてもらいたい。今更終わっても私の場合失ったものが多過ぎて人生は絶望的だが、終わらないよりはましである。

早く終わってもらいたいという我々の願いは潰され今日も嫌がらせにあう。虚しい毎日である。どんな人生だって楽しそうにしてる者だって苦悩とは無縁で生きていけないにせよ集団ストーカー被害者でないだけまだましだ。普通の人生を生きることのできる人間が羨ましくて堪らない。我々も早く自分の人生を返してもらって平穏な日常を取り戻したいものである。