集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

はてなブログの今週のお題が「お母さん、ありがとう」なので母親のことについて書いてみた

私の母親は馬鹿な母親であった。単純に馬鹿なだけでなく他人の気持ちがわからない母親であった。
母親に自分の気持ちを理解されたと思ったことはほとんどない。
もうちょっと、他人の気持ちがわかる人だったら私の人生は今と違ったものになったであろう。人間関係でお互いに他人の気持ちを察しながら生きるのは基本中の基本である。
互いに思いやる、配慮する、気を使うなどといった普通の人間が普通に出来ることが出来なのであった。
私が幼少の頃に母親の話によると私は母親のことを拒絶したらしい。
本能的にこの人間と関係を結んではいけないと気付いていたのであろう。幼児に拒絶されるなんてよっぽどである。しかも自身の肉親である。これは私にとってかなり不幸な出来事であった。私は母親のことを生理的に受け付けないのである。我ながら死ぬほど不幸な人間だと思う。母親以外に便りになる人間がいないからである。そんな人間と二人きりで生きなきゃいけないのは辛いものであった。

母親のことを思い出して見ると腹立つことばかりだ。少しでも私の気持ちを理解してくれたら私はもうちょっと自分に自信をもって生きていくことが出来たであろう。しかも頭も死ぬほど悪いし最悪としか言いようがない。

人間40年50年も生きてれば子に伝えることの出来ることは幾らでもあるだろう。しかし私は母親から人生の助言、格言等聞いたことがない。何も考えずに生きて来たのであろう。何か問題が発生すれば自分の力で解決する力が全くない何とも頼りない母親であった。

私が高校を卒業して就職したのだが職場に会わず僅か4ヶ月で仕事をやめてしまった。母親はそのことにショックを受けてその日は仕事を休んでしまった。たかが仕事を止めただけでどれだけショックを受けているんだ。信じられない。まだ10代で若いし幾らでも仕事を見付けて働くことが出来る。なのに母親のショックぶりはどう考えてもおかしい。私が2度と働かないと思ったのだろうか。私にしてみたら1週間くらい遊んだら仕事探しをするつもりでいた。私の母親は死ぬほど馬鹿だからそれがわからない。一生働かないと思っているようであった。
それで、次の日仕事から帰ってきた母親の第一声が「面接行ってきた?」である。信じられない。仕事を止めた次の日にどうやって面接に行けばいいのか。不可能である。私には仕事を選ぶ自由すらないのか。どんだけ私が働くことを期待しているのか。どうしようもない馬鹿だ。私は働くのが嫌になってしまった。働いていたころは自分の金で好きなものを買いそれなりに充実した人生を歩んでいた。家に金も入れていた。それなのに「面接行ってきた?」である。母親は私のことを全く信用も、信頼もしてないようであった。働くことが馬鹿らしくなってしまった私はその日からニートになってしまった。ニートの生活はそれはつまらないものであった。家にいてもテレビをみたりテレビゲームをして時間を潰すだけ。体が鈍ってしょうがないからランニングもしてたが毎日が退屈でつまらないものであった。私は働いて自分で金を稼ぎ遊びたかった。しかし、それは母親を喜ばしてしまう、許されないことであった。私が働かないのは母親に対する復讐であった。母親が私のことを信頼し、私の気持ちの分かる人であるならば私は働いて家にも金を入れていたであろう。私は現状に満足出来ないので母親と話し合いをしてちょっとでも現状を変えようと努力したが無理であった。私の母親は病的レベルで他人の気持ちがわからない人であった。働いてない状態と働いている状態とではどちらが充実した日々か、答えは明らかであるのに母親はそんな単純なことがわからない。ニート期間も長くなり私の不満はピークに達しし、遂に暴力に訴えるようになってしまった。私の母親は身体は全身アザだらけになり、顔もパンパンに膨れ上がる始末。それだけ私は母親がムカついていた。母親の努めている会社の同僚が心配して私の家に訪ねてくることがあった。会社の同僚の人と話し合いをすることがあったがそれで何も解決することはなかった。

私はしっかりと話し合いをもちスッキリとした状態で働きたかった。しかし母親は話し合いになると黙りこみ何も言い返してこないのである。それでこちらはストレスが溜まり暴力に訴えてしまう。そんなら母親と縁を切り1人で生きていけば良いじゃないかという意見もあるだろうがそれは母親を満足させてしまう。私がニートになったのは復讐なのであるのだから母親を満足させるわけにはいかない。しかし、私も現状全く満足しておらず、現状を変えたかった。その為に話し合いを設けたのに母親は私の真意に全く思いを馳せることはなかった。

そんな何の実りもない時間がいたずらに過ぎて行き5、6年経った。
私は母親の頭の悪さに辟易していた。なんでこちらの真意が伝わらないんだ。俺はただ働きたいだけなのである。母親なら普通自分の子供の将来は心配だろう。しかし、私の母親に関してはそれが当てはまらなかった。自分のことしか眼中にない様子であった。

そんな時に母親はアパートの家賃を払っておらず不動産会社からアパートを出ていくように通達がきた。母親1人の稼ぎだけではアパートの家賃が払えなかったのである。何故そのことを私に言わなかったのか。本当に駄目で馬鹿な奴だ。稼ぎが足りないならそのことを私に話してしっかりと話し合いをし、私を働かせれば良かったのに。何故黙っていたのか。どこまでも馬鹿な母親だ。それで各々が別々に暮らすことになった。私が26歳の時である。結局話し合いは何の実りも結ぶことはなかった。私の母親は愛情が足りなかったし、私自身が母親のことを拒絶していた。どうしても生理的に受け付けない。しかし、母親に愛情がなかったことは大して問題じゃない。母親は自分の真意を隠して私を悪者に仕立てあげて周りから同情を得ようとしてたのが許せなかったのである。

それから半年後に母親はなくなった。母親が亡くなった話はもう以前の記事に書いたが、母親が病院に入院した話が私の耳に入り病院に駆け付けてみるとそこには70位の老婆に見える母親がいた。集団ストーカーに電磁波攻撃を受けたとしか思えない。私は強いショックを受けた。私が病院に駆けつけると母親は驚き、嬉しそうにしていた。それから母親と二言3言交わして院内の休憩ルームに行った。私は酷くショックを受けていた。信じられない。母親がまるで老婆みたいになっている。その頃はまだ集団ストーカーのことは知らなかったから何かの病気に掛かったのだろと思っていた。母親の入院の知らせを受けて母親の姉も病院に来ていた。母親が老婆のように老け込んでいたので病院の看護師に姉は母親の娘だと勘違いされていた。看護師にも勘違いされていたくらいだから今はまでにない前代未聞の病気に掛かってたのではないか。母親は腹に穴を開けてそこにチューブを差し込み栄養を受けていた?母親の姉は「お母さんもう働けないよ」と言っていた。
それで母親の元に戻ると母親は元気を取り戻したのか「もう帰ってもいいよ」と言われた。こっちはせっかく母親の元に駆け付けたのに「もう帰ってもいいよ」とは何事だ。どこまでも自分の都合のことしか考えることの出来ない人間だ。それから6、7回くらい病院を訪れた。私はなんか病院に通うのが嫌になり病院に行かなくなった。それから2、3日後に母親から病室移ったという電話が掛かってきた。その時私は自宅におらず、電話の留守電に録音されていた。母親の弟から病院に行ってやれと言われたので病院に行くことにした。症状が重くなったから病室が変わったようだったが、これは母親を精神的に追い詰める為に集団ストーカーの指示があったのではないのか?病院に駆け付けてみると母親は酷く落ち込んだ様子で「どうして来ないのよ」と言った。やはり自分のことしか考えることの出来ないようであった。私が病院に行くのが当然と考え、感謝の気持ちはなかったとしか思えない。それから間もなくして母親は亡くなるわけであるが集団ストーカーに殺されたとしか思えない。母親が亡くなるその日に私は病院に行く前にランニングをしたのだが、ランニング中に葬式に出会した。葬式のアンカリングも集団ストーカー被害者はよく出くわすアンカリングの1つである。それで病院に駆け付けて見ると 子供の頃の知り合いも病院にいた。母親は意識が朦朧とした状態で軽く受け答えが出来る状態であった。姉も来ていて、◯◯お姉ちゃんだよと母親に話しかけると「あ、お姉ちゃん」と返した。それから姉は◯◯(私)も来てるよというと母親は無言で何も返してこなかった。母親はそれから数時間後に亡くなった。知り合いはおばちゃんと言いながら涙を流していた。私は何故か笑いが込み上げてきた。これは集団ストーカーに笑わされていたのではないか。その日に葬式のアンカリングがあり、計画通り殺したから集団ストーカー側の気持ちが私に伝わってきたのではないか。とにかく集団ストーカーは色々と怪しい。こいつらは何を仕出かすかわからない。祖母も亡くなった話は前にしたがこれも怪しい。私は家族を集団ストーカーに奪われたと考えているわけであるがどうであろうか?集団ストーカーに殺されたとしか思えない。集団ストーカー被害者を孤立した状態にするのが集団ストーカーの目的の1つだからである。

私の母親はまさに壮絶としか言い様のない仕方で死んだ。腹立つ思い出が沢山あるが幾らか楽しい想い出もある。だから母親に対しては私は分裂病的である。好きになることも出来なければ嫌いになることも出来ない。どちらか片一方に片寄っていたらどんだけ楽だったか。どっち付かずの状態が精神的に1番辛いからである。今でも私は母親に対して葛藤を抱えて生きてるわけでこれはこれで辛いものである。そこに糞みたいな犯罪集団ストーカーが覆い被さってきたからたまらない。

今にして思うと私の母親は可哀想な人であった。楽しそうにしてる所などあまり見たことない。どちらかというと不幸な人間であったであろう。それが最後は恐らくは集団ストーカーのせいで壮絶な死を遂げてしまった。私が集団ストーカー被害者に選ばれてなければ家族も死ぬことはなかったかもしれない。家族の死が集団ストーカーの仕業だとしたら絶対に許せない。集団ストーカー被害にあうとろくなことが起こらない。不幸ばかりである。もういい加減に終わってもらいたい。駄目なんだろうけど。