集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

人生は短い

人生は短いと最近つくづく思う。おっさんになったからだが、若い頃は時間が無限にあり自分は歳をとらないと思っていた。が、しかし誰にも平等に時は流れ誰もが歳をとる。
中学の頃がついこないだのように感じるが、それは中学の頃にかなり嫌なことがあって、それがトラウマとなり時間が止まってしまったのではないか。中学の頃に集団ストーカーが始まったと前に書いたが集団ストーカーとトラウマのコンボで散々な青春時代であった。
もちろん楽しいこともそれなりにあったが嫌な想い出の方が記憶に強く残る。

最近子供の頃を思い出す。集団ストーカーの被害者に選ばれるとも知らず野山を無邪気に駆け回っていたガキの頃のことを思い出すと泣けてくる。

私の人生は三重苦であった。
1つは目は母親のこと
2つは目は友人に植え付けられたトラウマのこと
3つは目は集団ストーカーのこと

この3つの不幸が重なり私は若い頃にしたいことがほとんど出来なかった。10代の頃はまだましだった。まだ、いくらか人生を楽しめる余地があった。底無しの苦悩は20代に入ってから始まる。母親との確執が激化し、働くことが出来なくなりニートになってしまったからで私は別に好きでニートになったわけではなかった。
母親は自分の幸福のことしか考えておらず私の事など眼中にないように思えた。それで私が働いて金を稼ぐのは母親を喜ばしてしまう。それは私の中では許されないことであった。何故母親を喜ばす為に働かなきゃいけないのか。私だって自分で働いて金を稼ぎ好きなものを買い人生を楽しみたかった。しかしそうすると結果的に母親を喜ばしてしまう。母親がもう少し他人の気持ちがわかるひとだったら私の人生は違ったものになったであろう。
さらにそこに中学の頃に植え付けられたトラウマも重なってきたから堪らない。私は身動き1つ出来ずもがき苦しんでいた。働きたいけど働けない、その葛藤は凄まじいものであった。親と縁を切り独り暮らしする選択肢もあったがそれは出来ないことであった。私が独り暮らしをしたら母親は余計な重荷がなくなって嬉しいだろう。だから縁を切るわけにはいかなかった。私がニートになったのは母親に対する復讐であった。

時だけが無駄に過ぎていく。同期の友達達が恋に仕事に人生を謳歌してる中で私は1人糞みたいな人生を歩んでいるのであった。私は日々焦っていた。何も出来ぬまま時だけが過ぎていく。98年のフランスワールドカップの時には既にニートだったのだが、2002年の日韓ワールドカップの時もまだニートであった。ニートのまま2度もワールドカップを迎えてしまった。私の焦りは相当なものであった。この状況を打開するにはどうしたら良いのか全くわからない。1日1日と時は止まらずに過ぎていく。
私の友達が彼女を連れて私の家に遊びにきたことがあったがはっきしいって私は羨ましかった。私も働いて彼女が欲しかった。しかしニートだし金もないし、女なんか出来るはずもなかった。

そんなこんなで時は過ぎていき結局母親とはわかれて独り暮らしをすることになったのだがその話は前に詳しく書いたのでここでは省く。

私は若い時期を抱えてる三重苦によって犠牲にしてしまったのである。後悔先に立たず。今更悔やんでもしょうがないが過去を振り替える度に深いため息が漏れ、底無しの絶望感に襲われる。

状況を打開する方法はあったのか?今でも時々考えるがやはり状況を打開する方法はなかったと思う。我ながらなんて不幸な人生だと思う。私ほど不幸な人間はめずらしいのではないのか?時間は有限で、出来ることが限られていて、しかも若い時期は短いってのにしたいことが何も出来ない人生であった。
で、独り暮らしになってから集団ストーカーの嫌がらせが激化するのだが、集団ストーカーさえなければ対人破壊工作もなく、友達もいて女を紹介してもらえるとか何かイベントが発生することがあったかも知れない。

集団ストーカー被害者は不幸な人生を歩むことを決定づけられているため楽しい人生を送ることもできず、ただ悶々と苦しむだけである。集団ストーカーさえなければ今よりもまともな人生があったであろう。悔しくて怒りで体が震えあがる。集団ストーカーを思い付きやがった奴をどうしても許せない。時間は有限なんだから。どうやっても取り戻せない時間を奪う犯罪は最も罪深い行いの1つと言ってもいいのではないか?どうやっても取り戻せないんですよ?罪ですよね?どう考えても。取り戻せない時間のことを考えると発狂しそうになる。
やっぱり許せない。早く終われよ。もうこっちも色々と限界なんだよ。早く終われや。人生短いんだよ。こっちもしたいことが山ほどあるんだよ!はよ終われ。