集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

表向きの理由と本当の理由

集団ストーカー犯罪のことは実はみんな知っていると以前に説明した。
集団ストーカーの真実を知らないいじょう、普通の人達にどういう説明がなされてるのかは知らない。が、しかし被害者にとってみたらはっきしいってただの虐待でしかない集団ストーカー。自分の知らない赤の他人であっても毎日が地獄のような人生を生きる人間が世界中に大勢(?)いることを知っておいて、普通の人達がおいおい生きていけるのかどうかは甚だ疑問である。私が第三者だったら負い目のようなものや心に引っ掛かりのようなものを感じて純粋に人生を楽しめないような気がする。しかし、他の普通の人達は特に気にすることなく生きているようだし、集団ストーカーにはそれなりに納得のいく理由があるのであろうか?そうでなかったらいかに赤の他人とは言え毎日酷い苛めにあっている人間がいるのは気分のいいものじゃない。その理由を知りたいと思い日々集団ストーカーの謎について考えるのだが答えが見つからない。外出先で笑いを堪える人に出会うこともあるからそんなに深い意味はないのかも知れないが、やはり笑われるのは被害者として気分のいいものじゃない。
そこで私は思うのだが集団ストーカーには2つの理由があって第一は一般人にも伝えられている表向きの理由。第二は一般人にも伝えられていない裏の理由。

実はこいつらは一般人には何か納得のいく理由を伝えて納得させ裏では集団ストーカーを楽しんでいるのではないか。
いかなる理由があるにせよ被害者が人生を潰されているのは事実で人生を全く楽しめなくされてしまっっている。それで本来ならば許されない筈のただの犯罪行為がまかり通ってしまう。誰もが自分達の言いなりにになり言うことを聞いてしまう。それが一般人から有名人、はたまた、政治家の大物から宗教的権威から権威の象徴にいたるまでだれもが何故か言いなりになって集団ストーカーの指示に従ってしまう。苛めは許されるし、誰もが自分の言うことを聞いてくれるし、被害者の人生を潰して貴重な時間を奪っても許される。こんな愉快なことはないのではないか。

精神科医フロイトは人間はストレス発散の為に祭りや戦争をするのだと解いたが集団ストーカーもそれと似たようなものではないのか?

フロイトは人間個人や集団を意識的動機と無意識的動機の両面から分析したわけであるが、集団ストーカーも意識的動機と無意識的動機の両面から分析できるのではなかろうか。つまり意識的動機は一般人に説明されている理由、無意識的動機は私が兼ねてから説いているように供儀である。人間は集団も個人も発散出来ない不満を抱えて生きているわけであるが、集団ストーカーはその不満を解消する為にあるのではないか?

どんな民族も個人もフラストレーションを抱えて生きているわけである。そしてそのフラストレーションは様々な仕方で発散される。苛めもその1つであろう。私は集団と個人を分けて考えず両者共に同じ精神構造を持ってると考える。それで集団ストーカーは個人の恨み辛みを晴らすのと同様集団のもつ恨み辛みを晴らすのに利用されているのではなかろうか。集団ストーカーの表向きの理由と無意識的理由を繋げるものがあるのではなかろうか?意識的動機としての表向きの理由と無意識的動機としての裏向きの理由。だって集団ストーカーはどんな目的があるにせよ被害者にとってみたらただの虐待でしかないから、心中密かに苛めを楽しんでいる人間がいるのではないかと疑ってしまうのである。くっそ腹立つが外に出ると笑いを堪えているものに出くわすことがあるし、集団ストーカー加害者も苛めを楽しんでいるとしかおもえない。実際そういう人間のクズみたいな奴はいるであろう。そして一般人にもそういう人間はいるのである。我々被害者は裏で何を言われているのかわからない。小馬鹿にしてる人間もいるだろうし、悪口を語りストレス発散している人間もいるのかもしれない。「死なない程度なら何をしてもOKです」という仄めかしもあった。全く腹が立つ。人の人生をなんだと思っているのか。自分に当て嵌めてみればわかるだろう、どれだけ辛いか。

しかしこれは貴重なメッセージかも知れない。「死なない程度なら何をしてもOK」であり、松本人志が言うように「誰かの犠牲が必要」なのである。この言葉は何を意味しているのだろうか?一般人をして納得させることの理由とは何なのか?禁忌を越える鬼畜性を有する犯罪集団ストーカー。一体誰が何の目的で発明したのかは謎である。早く本当の理由を教えてもらって、自分の人生を取り戻したい限りである。