集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーは遊んでるのではないか?

私は集団ストーカーに弄ばれてるのではないか。集団ストーカーは時々私の頭の中に直接語りかけてくる。例えば「ごめんなさいしてくれ」とか「今はまだ無理だ」とか「わかってくれ」とか「もう無理だ」とか「もう諦めてくれ」とかである。もう諦めてくれとはどういうことだろうか。集団ストーカーは一生終わらないということだろうか?それだけは死んでも勘弁してもらいたい。

私は毎日もがき苦しみ足掻いている。集団ストーカーはそんな自分を嘲笑うかのように私に嫌がらせをしてくる。こっちも当然腹が立って集団ストーカーに悪口を言ったり物に八つ当たりしたりする。そういうことをして外出すると道で行き交う人達が私を見て笑いを堪えているのである。

私は何か面白可笑しいキャラに仕立て上げられてるのではないかと危惧している。集団ストーカーの嫌がらせの中でも嘲笑はこの上なくダメージがでかいのである。こちらは毎日必死だしもがき苦しみ足掻いているのだから笑われるのは一番腹のたつことである。で、集団ストーカーは私の事を解決の糸口を見付けることが出来ず足掻いているのが楽しくてしょうがないのではないだろうかと考えてしまうのである。勝ち目は100%ないし、私の悪口も実際の所は痛くも痒くもないであろう。実際のところ100%勝てる勝負をするのは楽しいのではなかろうか。自分達はどこからも反撃を受けない安全な場所から(死ぬほど卑怯ですよね)被害者を苛めるのはこの上なく楽しいのではなかろうか。手のひらの上に私を乗せて踊らさせてるのが楽しくて仕方がないのではなかろうか?

私は集団ストーカーに何度も集団ストーカーを止めてもらうように訴えているのであるが、そうすると「ごめんなさいしてくれ」と私の頭の中に語りかけてくるのであった。私は最初はなぜ被害にあってるだけの私が謝らなきゃならんのだと思い、謝ることを拒否していたのだが嫌がらせが辛くもう耐えられないので仕方なしに謝ることにした。それで終わるかなと思ったが集団ストーカーは終わらなかった。彼等は自分達に100%非があることは知ってて私に謝罪を要求し私に謝らせその姿を眺めて楽しんでいるのではないかと考えてしまうのである。

どんな人間も自分より弱い者を見下すし苛めも多かれ少なかれ満更ではないであろう。中には全くそういう事に興味をもたない人間もいるであろうが、そういうのは超少数派であり、口に出さないだけで自分よりも劣ってるように見える人間のことは見下しているものである。

で、集団ストーカーは弱者を苛めて優越感に浸るのに最高のツールだと思うのである。外に出歩くと本当に沢山の笑いを堪える者に出くわすのである。そういう人達は集団ストーカーと一緒になって苛めの楽しみを共有しているのではないかと考えるわけである。我々被害者が陰で一般人に何を言われているのかわかったもんじゃない。解決策もなく足掻き苦しんでいる被害者の事を嘲笑っている性格の悪い一般人もいるであろう。仮に集団ストーカーが終わった後に我々は上手く生きていけるのだろうか?こんな嫌がらせに毎日あうと人間不信にもなるし、ひょっとする我々のプライベートも一般人の間で集団ストーカーと一緒に共有されているかも知れない。トラウマが出来た人間もいるだろうし、対人恐怖症になった人間もいるであろう。こんな状態になった被害者が集団ストーカーが終わった後に社会に出て上手く生きていけるのかは甚だ疑問だ。

実際のところは被害が終わり第三者的立場から見てみないとわからない。何かどうしても笑ってしまう理由があるのかもしれない。

笑ってしまう理由を私なりに考えたのだが、私は全ての人間が集団ストーカーを知っていると何度も訴えているが、集団ストーカーは全ての人間が知っていると気付かされた初期の頃に私の頭の中に「笑うな」という考えが浮かんできた。それでこの時期に全ての人間に思考盗聴されていると思いこまされており私の「笑うな」という考えも他人に伝わったのではないかと考えたのである。そして実際外に出て見ると笑いを堪える人間に大量に出くわしたし、当時働いていた職場でも笑いを堪える社員がいるのであった。これは思考送信兵器で私の頭の中に「笑うな」と伝え自分の考えと思い込ませて、そして「笑うな」と言われればその反動で思わず笑ってしまう人間の心理を利用した嫌がらせなのではないかと考えたわけである。実際はどうなのかわからないし思考盗聴器があるのかどうかもわからない。しかし、何か私をして笑ってしまう理由があるようなのである。

前にこのブログで加害者放送のことに触れたが、一般の人達の脳の中に直接笑える方向にもっていくよう語りかけ、私を笑い者にしているのではないかとも考えたわけである。加害者放送とは一般人に語りかける音声送信以外に考えられないが、その中で加害者は集団ストーカーの罪悪感を誤魔化す為に加害者放送をしてると語っていたから、私を苛めることに多かれ少なかれ罪悪感があるためその罪悪感を誤魔化す為に笑える方向にをもっていっているのではなかろうか。加害者を責めたり物に八つ当たりをすれば必ずと言ってもいいくらい笑いを堪える者に出くわすから罪悪感を正当化しているのではないかと考えるわけである。もう一度加害者放送の書き込みを書くと

被害者が考える以上に、加害者側の内情はgdgdしてて大変そうですね。
1つの罪を隠すために、さらに罪を重ねなければならない・・・その積み重ねで今の加害者がありますから、
自尊心が低下して被害者を相対的に貶めなければならない必要性に駆られる毎日なのでしょう。
そういう意味では、被害者は加害者のおかげで得したかもしれませんね。
プライバシーを晒されることは辛いけれど、それによって被害者の罪は社会的に浄化されました。
むしろ、被害者以上に秘密を持ってしまった加害者のほうが、今となっては苦しいのかもしれません。
その苦しさを紛らわすのが加害者放送なのです。
しかし、その加害者放送の中でさえも、加害者はすべてを曝け出しているわけではありません。
そこでも、被害者を貶め、自分たちを正当化するために、嘘をつき真実を隠しながら、喋り続けているのです。
何と哀れなのでしょう。
しかも、それで金を得て生活をし、妻子を養っているのです。
加害者の子は、親の真の姿に気づいたとき、何と思うのでしょう。

悪い事をして罪悪感を感じない人間はいないと、ある心理学者が言っていたから集団ストーカーもやはり多かれ少なかれ罪悪感を感じながら嫌がらせをしているのではなかろうか。私が2ちゃんねるに集団ストーカーをして罪悪感や負い目を感じない人間はいないだろうと書き込んだ際に2ちゃんねるに加害者放送の書き込みがあったのである。どうも一部の集団ストーカー加害者の中に罪悪感を感じている人間がいるようなのである。そういう人間がいることは被害者からしてみたらちょっと嬉しいが、しかしこの犯罪は全ての人間が知っているのである。何か我々の知らない理由を一般人に話して集団ストーカーを納得させ嫌がらせに協力させているようなのである。

そう言えば昔こんなことがあった。集団ストーカー加害者と思われる人間のブログを読んでいたときにそのブロガーが天使について語っていたのだが、別の人間のブログを読んでいた時にそのブロガーから悪魔は天使の顔をして近付いてくると仄めかしがあったのである。すると、その集団ストーカー加害者と思われるブロガーが途端に焦りだしたのである。やはり集団ストーカーは罪悪感とは無縁ではいられないのだろう。そのブロガーのブログのコメント欄に加害者放送について書いたと思われる加害者から「いじめの問題もそういうことですしね」と書き込みがあった。彼は傷ついているようであったが彼は例外的に心優しい加害者で他の加害者は実際のところは特に罪悪感を感じずに集団ストーカーをしているのかもしれないが悪いことして罪悪感を感じない人間はいないという人間もいるし実際のところはどうなのかわからない。

私が加害者の側の人間だったらと考えてみると人の人生を10年も20年も30年も奪う事に耐えられないであろう。考えるだけでゾッとする。何故なら一度失った時間は2度と取り戻すことが出来ないからである。それで被害者の貴重な時間を奪うのだから集団ストーカーは罪悪感と負い目を抱くだろう。その罪悪感と負い目には耐えられないだろう。彼等は苛めをする代償として罪悪感と負い目に耐えねばならないであろう。

そんなこんなで加害者は実は遊んでいるのではないかということと加害者の罪悪感について考えてきたが私の考察が当たっているのか間違っているのか知らないが、こっちもガチで限界なので集団ストーカーの方はもういい加減に止めてもらいたいものである。