集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

何をしても許される飯うまな犯罪 神と集団ストーカー

集団ストーカーは「悪いことがまかり通る」犯罪であり、彼等がいかに被害者を苦しめ痛めつけても決して罰せられることはない。我々被害者側から見ればただ単に辛い苛めを受けているだけだから正義は自分の側にあると思っているが、しかし、集団ストーカーは決して罰せらることはなく我々被害者も打つ手がないのでただ被害に甘んじる他ない。

集団ストーカーは実は全ての人間が知っていると何度も繰り返してきたが被害者ではない第三者は毎日酷い苛めにあい苦しんでいる人間の存在を知っているのである。いかに赤の他人とはいえ他人が苛められているのは気分がいいものではないであろう。そこで私は何か人を苛めても一般人が納得出来る理由があるのではないかと考えたわけであるが答えが見付からない。

集団ストーカーは禁忌を越える鬼畜性をもっており端からみれば我々被害者はただの犠牲者であり加害者は罪人である。しかし集団ストーカーは決して罰せられることがないのである。誰が何の目的で思い付いたのか知らないが、全ての人間が加害行為に参加してくるのである。私はエリザベス女王ローマ法王からも仄めかしを受けたから一般人だけではなく権威の象徴や宗教的権威までが加害行為に参加してくるのである。だから集団ストーカーの指示は絶対で誰も逆らうことが出来ないらしいのである。私はここら辺の所に集団ストーカーの謎を紐解く鍵があるのではないかと睨んでるがどうであろうか?全ての人間が言いなりになるのだから集団ストーカーには人々をして何か納得の出来る理由があり、そして絶対的な権威者がいて彼か彼女かは知らんがだれもが集団ストーカーの指示は無視出来ないようなのである。そして本来ならば罪を罰する側にある警察官も加害行為に参加してくるのだから我々被害者には味方はいない。

この集団ストーカー側からあった仄めかし「悪いことがまかり通る」という言葉は何を意味してるのだろうか。我々被害者はいつも辛い苛めを受けているがこの集団ストーカー犯罪だけは何をしても許されるようなのである。何故こんなことを思い付いたのかそして目的は何なのか分からないが集団ストーカーにはある種の供儀的な要素があり苛めが満更ではなく楽しんでいる人間もいるのではないかと邪推してしまう。だって集団ストーカーは何をしても許されるんだから。中には頭と心がイカれてる人間がいて集団ストーカーを楽しんでいたとしても何ら不思議ではない。そういう人間がいたら絶対に許せないが彼等が罰せられることはない。

集団ストーカーは神の代理みたいなものである。神の能力を請け負っているのは主に米軍が発明開発した電磁波兵器である。電磁波兵器には思考送信兵器があり、音声送信兵器がありひょっとすると思考盗聴器があるのかも知れないのであるが、思考送信も音声送信も直接被害者の脳の中に語りかけてくるわけで神の能力の代理である。実際音声送信兵器は神の声兵器と呼ばれてる。さらにどんな人間も、一般人から有名人、政治家や宗教的権威から権威の象徴に至るまで皆言いなりになるのだから集団ストーカーは存在的にも神みたいなもんである。つまり電磁波兵器で行われる犯罪、エレクトリックハラスメントも人間を実際に参加させる犯罪、人海戦術も共に神の性質を帯びているという点では同じである。従って集団ストーカーが自分達を神と同一視してたとしても不思議ではない。我々被害者は集団ストーカーに運命の手綱を握られ殺生与奪の権利も握られているわけである。

神と言えばヨーロッパ人である。ヨーロッパ人は日本人に馴染みのない神を持っている。唯一絶対神である。唯一絶対神は全知全能であり万能の神である。ヨーロッパ人はこの神を利用して人殺しを正当化してきた歴史をもつ民族である。この唯一絶対神にこれまでどれだけの人間が殺されてきたのかそれは計り知れないことである。唯一絶対神は愛と寛容の神ではなく破壊の神以外の何者でもなかった。そしてヨーロッパ人はこの神を巡って永遠と葛藤を繰り広げてきた民族である。近代科学は1神教の変種だとよく言われる。つまり、神の絶対性を科学の方向にずらして神の代わりに今度は世界の真理を自分達が握り占めてやろうと画策したのである。この神を巡ってヨーロッパ人より不幸な人生を送ってきた民族はいない。対内的にも対外的にもこの神がヨーロッパ人を痛めつけ、そして人殺しの正当化の道具と利用されたのであった。ヨーロッパ人にとってこの神は外から押し付けられた神であって自分で取捨選択して取り入れたものではなかった。そこでヨーロッパ人はこの押し付けられた神が精神的に邪魔で出来ることならばこの神から解放されたいのであった。それで地獄の大航海時代が始まるのであるが、ヨーロッパ人は世界中を植民地化していく過程でこの神を植民地化した諸部族、諸民族に押し付けていくのであった。自分達がされたことを他人にしたわけである。ヨーロッパ人の植民地化の歴史は復讐の歴史であった。科学は1神教から生まれたと説明したがヨーロッパ人はその神の能力を外在化させ科学を発展し内在化させ真実の自己なる奇妙キテレツなものを発明したのである。ヨーロッパ人はこの神を拠り所にして世界制覇に乗り出すのだがこれは外部に自分達の不幸を押し付ける復讐以外の何物でもなかった。それで私は思うのだが、この神の全知全能性を内在化させ自分達の能力にしたい、そして自ら神になり人々を罰したいという欲望をヨーロッパ人はもったのではなかろうか。それが集団ストーカーというわけである。神の能力を科学力によって手に入れ、かつて自分達が散々この神に苦しめられたもんだから自分達以外の別の神を信じてる人間にも自分達が味わってきた苦しみ、苦悩を味わってもらいたく集団ストーカーを発明したと私は考えてるわけである。どうであろうか?昔みたいにおおっぴらに復讐をしたら世界中から叩かれるし復讐をしたいという欲望はまだ消えておらず昇華させたいし、そこで集団ストーカーを思い付いたのではなかろうか。普通の人達にはもっともらしい理屈をつけて納得させ裏では復讐を楽しんでいるというわけである。

集団ストーカー被害者を生かすも殺すも全てはこいつら次第である。我々被害者は運命の手綱を握られ、ただ翻弄されるだけである。私はどうしても集団ストーカーに供儀的な要素があると考えてしまうのだが、ある時私が頭の中で集団ストーカーは人を苛めるのは満更ではないのではないかと考えたことがあったが、その時に集団ストーカー加害者と思われる人物が自身のブログの中で人を苛めるのはろくなものではないと語ってたが文書の行間から焦りのようなものが見受けられた。だからその逆こそ真であると考えられないだろうか。つまり苛めは満更でもないのである。集団ストーカー工作員は数多くいるだろうから中にはそんな人間がいてもなんら不思議ではない。

実際やはり集団ストーカーは楽しいのではなかろうか?だって何をしても許されるのであるから。誰もが自分達のいいなりになるのだから。何をしても罰せられないのだから。そうならば誰だって甘い誘惑に負けてしまうのではなかろうか。人の人生を弄び翻弄するのは楽しいものであるのではなかろうか。それで誰からも罰せられないのだから集団ストーカー加害者は有頂天になってしまうのではなかろうか?私にはそんな気がするのであるがどうであろうか?もし仮に苛めを楽しみ、その楽しみを共有している一般人がいたとしたらはらわた煮えくり返るくらい腹立つしいくら殺しても殺し足りないくらいむかつくことである。

私の分析がどれ程当たっているのか知らない。当たっているかもしれないし、間違っているのかもしれない。部分的に当たっていて部分的に間違っているのかもしれない。それはわからないがいい加減に集団ストーカーは終わってもらいたいものである。


今回のオススメの曲
https://youtu.be/aAoDTjsYYWg
最強にカッコいい曲です