集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

もう限界

もう耐えられない。今すぐにでもやめてもらいたい。余りにも辛すぎる。なんで私だけこんな悲惨な目にあわなきゃならないのか。納得できない。

私の人生は悲惨の連続であった。まず親との問題があった。私の親は他人の気持ちが絶望的にわからなく、私は親に自分の気持ちを分かってもらったと思ったことが殆どない。他の親なら子供の気持ちを理解し、子の立場にたって考えるのだろうが、私の親はそういうことが決定的に欠けているのであった。

人間はまず親との関係で自我を築くが私の親は子の気持ちがわからず、しかも私の親は変わり者で常に仮面を付けて生きている人間であり、そんな親との関係性から自我を築く他になかったのである。それで私は神経症になったわけであるがこれはかなり辛いことであった。私は親とまともな関係を築きたくて何度も話し合いの場を設けたが親は私の気持ちを理解し私の立場に立って考えることが遂になく話し合いはいつも平行線を辿った。私はまだ若い頃に親がいつか老いたらこんな人間の介護をしなきゃいけないのかと思い気が重くなるのであった。

第2に友人にトラウマを植え付けらた不幸がある。それまでは仲が良かったのだが私が何故か彼と付き合うのが嫌になって冷たい態度を取るようになった。そしたら彼の態度が一変した。彼は私に付きまといだし、ことあるごとに私の事を非難し始めた。最初の頃は傷は浅かったが何度も何度も私の事を否定し非難されると私は自分に自信をもてなくなり彼に否定されたことがトラウマとなり私の人生を内側からそのトラウマが支配するようになった。彼は私に冷たくされたことに酷いショックを受けているようであった。私はたかが私に冷たくされただけで何故そこまでショックを受けているのか不思議であった。彼はクラスの中でそんなに人間関係をうまく構築出来ていなかったようだし家庭のなかでも問題を抱えているようであった。それで彼は恐らく私との関係性の中から安定した自我を築こうと画策したのであろう。私との関係性を立脚点として足場を確立しようとしてたのであろう。それ以外に考えられないが、私との関係性が破綻して自我の安定が揺らぎ足場を見失ったのであろう。それで私に振り向いてもらいたく私の事を突然非難しだしたのであろう。それは小学生の男の子が好きな女の子に振り向いてもらいたくあえてわざと嫌がらせをする心理と同一のものであろう。要するにただの駄々っ子である。

それで、この問題が厄介だったのは彼が私を非難、否定したことが観念的に私の中に彼の言葉が残り私を内側から支配するようになったのであった。私は常に彼に凝視されているような感じになり、何をするんでも彼の視点が私の邪魔をするのであった。彼の言葉が私の心の中に残った理由の1つに彼に悪口を言われた時に言い返せなかったことが上げられる。彼に反抗的な態度を取れてればここまで彼の言葉に支配されることもなく心の中に視点が残ることもなかったであろう。

それともう1つ彼は自分の事を絶対化していた。彼の考えは100%正しく彼の好むものも問答無用に素晴らしいものであり否定することは許されないのであった。彼は自分の好む物を私に押し付けてきた。私にとってそれは重荷以外の何物でもなかった。私は自分がもっと強く賢かったらよかったと思うのだが、私は彼の言葉を鵜呑みにし彼が絶対的な存在であると信じたのであった。(無意識レベルでは彼の事を疑い信じていのかったのだが)これは典型的なモラハラであり、彼は典型的な自己愛性人格障害者であるが、モラハラ加害者は自分を絶対化し対象を自分の支配下に起き洗脳するのが特徴的で宗教のカルトと手法は同じだが私はもろに彼に騙されたのであった。(自己愛性人格障害者は酷いのになると精神科医ですらも自殺に追い込む)私にとって彼は絶対者なのであった。流石に今は彼の側にも問題があったし、彼の語っていた言葉に間違いが沢山あったと思っているが一度植え付けられた観念は中々自分の心から追い出す事が出来ず今でも多かれ少なかれ彼の言葉が私の中で影響力をもっているのである。私の最大の不幸は彼によって持たされたのでありそれは集団ストーカーに匹敵する問題であった。(無意識レベルでは彼の事を疑っていたのだから彼と一緒にいるとどこかしっくりこない感じがあり無意識からの働きかけがあって、それが様々な病的症状として出てくるのであった。彼の事を疑うようになるまでに13年もかかったわけであるが、精神分析関連の書物を読み進める内に彼の事を疑うようになったのである。しかし、疑いだしてからそれで問題が解決するわけではなく、彼に植え付けられた観念を私は未だに払拭出来ずに足掻いているのである。)

そして第3は集団ストーカーである。私は2つの問題を抱えており、つまり第1は親との問題、第2に友人との問題がありこの問題を抱えて生きるだけでも辛いのにそこに集団ストーカー問題が覆い被さってきたのであった。集団ストーカー問題は第2の問題、友人との問題と時期を同じくして始まった。 思春期の一番大事な時期にである。私はその後の私の人生が陰鬱なものになってしまった要因に思春期の時期に集団ストーカーが始まったのが原因だと思っている。思春期の時期は親離れの時期であり自我が出来上がってくるその後の人生を決める非常に重要な時期である。その時期に第2の問題友人にトラウマを植え付けられたことと集団ストーカーが重なってきたのであった。

私の人生は振り返ってみればしたいことが何も出来ない人生であった。あの時ああしてれば、こうしてればばかりであり、過去を振り返ると楽しかったのは小学生までで中学の頃にトラウマを植え付けられ集団ストーカーが始まったのだから私の人生は中学で終わってしまっている。

しかし、それでもいくらか自由があり友達もいたし、高校時代は野球に打ち込みそれなりに充実していた。しかしトラウマがあったし集団ストーカーの嫌がらせもあったので気分は半々といった所であろうか。つまりそこそこ楽しめてたが彼の視点がありかなり自由は奪われていたと思うし、集団ストーカーの嫌がらせ、主にこの頃は雑音と、騒音行為があり青春時代は半分楽しく半分憂鬱といった所であろうか。
学生時代の最大の後悔は女とまったく縁がなかったことである。女と付き合えてればここまで後悔することはなかったであろう。彼に植え付けられたトラウマが原因で女の子に声を掛けることが出来なかった。思春期の時期の男の行動原理を支配するのは8割がた女ではないのか?私は若い頃に女と付き合うことが出来なかったし、女遊びも出来なかった。私の人生は後悔しかない。私は他の心優しい被害者と違って卑しく欲望を満たすことを第一に考えるから若い頃に女と遊べなかったのは私にとっては最大の不幸なのである。だから集団ストーカーには早く私の人生を返してもらって私は女と遊びたいのである。他の被害者には実に申し訳ないが私は聖人でもないし、強欲な人間なのである。集団ストーカーをやめてもらいたい原因の最大の理由は女遊びをしたいからなのである。他の心優しき被害者に本当に申し訳ないと思うが、私は本当に自分を抑圧して生きてきたのでここに来て私の欲望が爆発寸前なのである。

今まで語っていきたように私は大きな問題を3つも抱えていた。
第1は親の問題
第2は友人、トラウマの問題
第3は集団ストーカー問題

我ながらかなり不幸だと思う。私より不幸な人間はいないのではないかと疑いたくなるレベルである。集団ストーカーだって恐らく私が子供の頃から観察してきただろうから私が如何に不幸な人生を歩んできたのか知っているだろう。ちょっとは温情をもって集団ストーカーの嫌がらせを軽減したり、或いは集団ストーカーを止めることは出来ないのであろうか。集団ストーカーは「今はまだ無理だ」と語りかけて(頭の中に直接に)くるだけである。ということ少なくとも終わらす気があるのであろうか。それが10年先20年先とかなら困るが。

歳も歳だしいい加減にやめてもらうことは出来ないものだろうか?なぜ、ここまで人に対して非情になれるのか私にはわからない。私が加害者側の人間だったらもう止めにしてあげるだろう。何故集団ストーカーはこんなに長いのか理解できない。人生一度きりである。なのでこちらの人生を尊重してもらい集団ストーカーはもう止めにしてもらいたいものである。

Hamidemonさんへ
Hamidemonさんの言うとうり、はてなブログの過去ログ読めないようですね。どうしてでしょうか。

レッチリの件ですが何故レッチリを選んだのかは私の若い頃からのファンだからです。何故曲にスカーティッシュを選んだのかと言うと1度バンドを脱退したギタリストのジョン・フルシアンテが再加入し、幾多の困難を乗り越えてきたレッチリが生み出した感動的な名曲だからであります。スカーティッシュはどこか達観したような悟りの境地にたどり着いたような印象を与える名曲だとおもいます。今までの気の狂いそうな困難を乗り越え(アンソニー・キディースいわく)、たどり着いた名曲だとおもいます。私は若い頃にこの曲に出会い自分にレッチリを重ね合わせ、私もレッチリがたどり着いた境地に近づきたいと思ったのです。
レッドホッドチリペッパーズのことをレッチリと略してるということはレッチリの事を知っているのでしょうか?良いですよねレッチリ。大ファンです。

今回私のおすすめする一曲。https://youtu.be/u2hYn_4yuhc
名曲です。