集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

なんでこんな目にあわなきゃならないんだ アメリカ人の精神構造について2

なんでこんな目にあわなきゃならないのか意味がわかりませぬ。仕事をして金を稼ぎ遊びたいのだが集団ストーカーのせいで何も出来ませぬ。

集団ストーカーのその手口に対人破壊工作があり被害者は友達も恋人も持つことが出来ない。従って被害者は孤立状態を余儀なくされる。従って私は自分一人だけポツンと世界に取り残されたような寂しい感慨をよく持つのである。それはそれは辛いものである。

集団ストーカー被害は辛いもので、誰だって被害者は辛い人生を送っているだろうが、我々被害者はこんな人生ともなれば他人と自分達を比較して余りの惨めさに涙も出るし人生が虚しいものになるだろう。

理不尽にもターゲットに選定されて毎日屈辱的な苛めにあう。そして今日こそは被害が終息すると期待して朝を迎える。しかし集団ストーカーは終わらない。集団ストーカーが終わると期待させて終わらせないのは集団ストーカーの常套手段である。ある朝目覚めた時に「集団ストーカーはそろそろ終わる」と思考送信があった。しかし、いつまで待っても集団ストーカーは終わらない。いや、終わらないどころか最近ますます集団ストーカーはその嫌がらせが過激になってきた。全くやってられない。私は謝罪を強要された。集団ストーカーに対して「早く終われ」と絶叫すると頭の中に「早く終わって下さいだろ」と思考送信があった。屈辱の極みだったが私は敬語で終わって下さいとお願いをし、謝罪をしたのであった。しかし、集団ストーカーは終わることはなかった。「早く終わって下さいだろ」となぜ上から目線なのかわかりませぬが、集団ストーカーは立場的に自分達が上だと思っているらしい。全く虫酸が走る奴等だ。こちらがどんだけムカついても集団ストーカーは絶対に終わらない。ただ被害に甘んじて集団ストーカーが終わるのを待つ他にない。

何度も繰り返すが私は被害歴26年である。もういい加減に終わってもいいのではないのか。集団ストーカーからは「今はまだ無理だ」と思考送信があった。
全く腹がたつ限りだが我々被害者にはどこにも逃げ場はない。はらわた煮えくりかえる日々であるが、集団ストーカーに耐える他にないのだ。

一体いつになったら終わるのか。集団ストーカーは一生終わらないという人間もいるが私は他の被害者と違って全ての人間が集団ストーカーを知っていると気付かされた人間である。従って終わってもらわなきゃ困るし、私には自由がなく行動がかなり制限されてしまっているので早く終わってもらいたい。そして自分の人生を充全に生きたいのである。なぜここまで酷い事をするのであろうか。世の中知らない方が良いことがある。私は集団ストーカーが全ての人間が実は知っていたと気づかされ地獄を見た人間である。気づかされる少し前に外出をすると涙を浮かべている人間や私のことを心配そうに見ている人間によく出くわすのであった。私はその時集団ストーカーに殺されると思ったのだが、殺すわけではなく集団ストーカーは私に全ての人間が集団ストーカーを知っていると気付かせる目的があったのである。私はそれ以前に集団ストーカーの悪口を掲示板に書き込みまくっていたのだが、すると掲示板に集団ストーカーから復讐を遂行すると書き込みがあった。どんだけ怒っていたのか知らぬがまさかここまで酷い目にあうとは夢にも思わなかった。前にも書いたがその頃一般人や政治家を利用して私に仄めかしが集中的に相次いだ。外に出ると一般人を利用したアンカリングが相次ぎ私は集団ストーカーが実は全ての人間が知っていると気付いたのである。その頃新しい職場が決まり働く意欲に燃えてたが、しかし、全ての人間が集団ストーカーを知っている中で働くのは辛いもので職場は僅か2ヶ月で辞めてしまった。働きやすい職場で従業員もいい人ばかりだったので辞めるのは惜しかった。私はもっと働きたかった。時を同じくしてその頃に全ての人間が思考盗聴をしていると思い込まされていたいたわけであるが、私が職場の主任に対して思わず頭の中で不細工と考えるとその主任は泣きそうになっているのであった。それ以外でも職場の女性店員に対して頭の中で思わず不細工と考えてしまったことがあった。するとその女性店員は目に涙を浮かべているのであった。思考盗聴器が本当にあるのかは知らない。しかし、思考盗聴器がないと説明のつかない現象が多々ある。私が頭の中で集団ストーカー死ねと考えると「死にません」と思考送信が送られてくるのであった。だからひょっとすると思考盗聴器は本当にあるのかもしれない。

私に仄めかしをしてきた人間の中にアメリカ人のコンスピラシー・ガイと言う奴がいる。こいつは自身のYouTubeの番組の中で私に対して仄めかしをしてきたのである。こいつが仄めかしをしてきた内容は私のコンプレックスに関することであった。その番組の最後に演者全員が大爆笑をしているのであった。私はそのYouTubeの番組を見たときに殺意を抱くくらいむかついたのである。全く忌々しい奴等だ。アメリカ人は人を侮辱する、痛め付ける事に関して他人の立場に立って考えることが出来ず余りにも鈍感と言うか無感覚というか相手の立場に立って考えることの出来ない人種である。流石世界一の嫌われもの民族である。あんたがチャンピオン。

アメリカ人が相手の立場に立って考える事が出来ない理由にインディアンコンプレックスを挙げている心理学者がいる。つまり、アメリカはインディアンを大量虐殺し彼等を土地から追い出しそこに国を築いた人々である。アメリカ人にはその事に関する負い目があり相手の立場に立って考えることは、インディアンの立場に立って考えることでり、そうするとインディアンを大虐殺した事実に直面しアメリカの建国神話(聖徒が神の国を作る)が嘘だと証明されることになり、そうするとアメリカはアメリカじゃなくなり滅ぼざるを得ないので、そのことを見たくないからアメリカ人は相手の立場に立って考えることが出来なくなったという説である。当たっていると思う。アメリカ人はこのような体質の為に無用に敵を作り世界一嫌われているのである。ザマア見ろと言いたくなる。

17世紀の初めメイフラワー号に乗ってやってきたピルグリム・ファーザーズはアメリカの自由と民主主義の始祖とされている。が、これははっきしいって嘘である。アメリカの歴史は嘘と欺瞞に満ち溢れている。この嘘と欺瞞がアメリカ人の行動パターンを決定的なものにしている。(「新大陸に生きる」による引用によれば)新大陸に上陸した聖徒たちはインディアン達の穀物を盗み墓地を荒らしまわった。さらに聖徒の一人スタンディッシュは酋長と彼の弟である18歳になる若者と二人のインディアンを執務室に招待して食事をすることにした。名誉を重んじるインディアンはこの食事の招待を受けても危険はないと考えた。だがしかしそれは大間違いであったことに気付いた。彼らが部屋に入るやいなや錠がかけられた。スタンディッシュは一人のインディアンをナイフでめった刺しにし殺した。そしてスタンディッシュの部下たちは酋長ともう一人のインディアンを剣で切り殺した。18歳の若者だけは殺されなかった。あとで皆の前に引きずり出し絞首刑にするためである。スタンディッシュはインディアンの酋長の首を持って意気揚々とプリマスに帰還した。人々は歓喜して彼を向かえたという。彼はその首を植民地の防塞の杭の先端に釘で打ち付けた。この首は長年の間、プリマス名物の一つとして残ったのである。


岸田秀アメリカを精神分析するによると

「この事件が事実そのままに、信頼と尊敬の態度で接してきた人達に対する裏切りと残忍な殺害の事件として認識されてれば、悲劇はこれだけにとどまり得た。問題は、そういうことをした人達がアメリカの自由と民主主義の礎石を築いた聖徒とあがめられたことである。その結果、自由と民主主義は裏切りと暴力を正当化する口実に過ぎなくなり、裏切りと暴力が裏切りと暴力ではなく、自由と民主主義を証明するために、際限なく脅迫的に裏切りと暴力が繰り返されることになった。アメリカ人は、他民族、他人種をみると、裏切りと暴力を使って、裏切りと暴力を使ってアメリカの自由と民主主義を押し付けたい脅迫的衝動に駆り立てられるのである。(省略)その後のアメリカ人の、インディアンに対する扱いかたはまさに、ピルグリム・ファーザーズのやり方の脅迫的反復であった。そして、平和を望む無抵抗なインディアンを一方的に虐殺した騎兵隊やその指揮官は、勲章を授けられたり、英雄に祭りあげられたりしている。経験の欺瞞に発した歴史は経験の欺瞞を繰り返すのである。」

メキシコからその領土テキサスを奪った手口も、ハワイをアメリカ領にした手口も対日戦争の手口も似たようなものであった。

これまでアメリカは正義の旗印の元に、正義の名の元に幾多の虐殺を繰り返してきたであろうか。アメリカは自由と民主主義を守る為に反復脅迫的に自分達の信じてる信念体系を押し付けたい衝動に駆り立てられるのである。ベトナム戦争アメリカの戦死者がべらぼうに増えても、内外の識者から批判の声が上がっても反戦ムードが醸成され非難、批判を浴びても戦争を止めることが出来なかった。アメリカの戦争が自由と民主主義を守る戦争ではなく裏切りと虐殺を繰り返す経験の欺瞞に発してると心のどこかで知っておりそのことを認めるのが怖いからである。その嘘を認めればアメリカの建国の歴史は嘘ということになりアメリカは滅ぼざるを得なくなるからである。アメリカはこの体質、自由と民主主義を守り、他国に押し付ける性格の為に世界で一番嫌われてる国家である。しかし、アメリカは主観的にそのことがわからないのである。主観的にはアメリカは善意なのである。善意の感情から行われる悪逆無道な行いほど達の悪いものはない。(私も自己愛性人格障害者の人間に人生を破壊されたのでよくわかる。私を虐めた奴は主観的には善意なのである)いや、わかってはいるがそのことを認めることが不可能なのである。インディアンを大量虐殺して国を築いた負い目と罪悪感がありどうしても認めることが出来ないのである。自分達をアメリカ人に置き換えてみればアメリカ人の精神構造がよくわかるであろう。自分達の国を築いた人達が実は聖徒でもなんでもなくただの人殺しのごろつきで異教徒を大虐殺した人々であったら、その負い目と罪悪感に耐える人間はまずいないであろう。猛烈な虚無感に襲われるであろう。自国民であることに誇りも自信も持てないであろう。アメリカはそのことが怖くて、そのことから目を逸らしてるが、しかしこれは私に言わせれば卑怯な逃避である。事実を事実として認めればアメリカは滅ぼざるを得ないのでどうしても真実を見ることが出来ないのである。

更に岸田秀アメリカを精神分析するより引用すると。

「対日戦争も天皇独裁国家である(一部文章改変)日本に対して自由と民主主義を守る為にアメリカは戦ったのであった。戦後の戦争裁判は、けんかに勝った者が負けた者を裁くという、裁判というものの本質を踏み外したインチキ裁判であったが、こういうことを思いつき、かつ実行できるということ、ついでながら言えば、日米戦争中の最大の犯罪は広島、長崎への原爆投下であることに疑問の余地はないが、自分の犯した犯罪は無視できるということ、これは自分が普遍的正義の立場にあるという前提に立っていなければ不可能なことである。この前提は、インディアン虐殺経験の正当化に発する。というのは、そのような正当化のためには、論理的にこの前提が必要不可欠だからである。自分達アメリカ人とインディアンをともに越えた別のところに正義の基準が存在するというのでは、そのような正当化はできない。そして、いったんこの立場に立てば、歴史の出発点における経験の欺瞞をやめないかぎり、この前提を手離すことはできない。アメリカ人はこの前提に立っており、それが対外的には東京裁判を生み「世界の警察官」意識を生み、国内的には夥しいリンチ事件を生んでいる。白人女を強姦したとか何とかの口実で黒人をリンチで殺した白人たちにしても、東京裁判の裁判官たちと同じように、自分は「正義」のために「正義」を守るために「悪人」を罰してるつもりであった。(省略)現在アメリカは、幼い時から続けてきた性格防衛機制が破綻した神経症者と同じ状態にある。これまで絶対視されていたアメリカ的諸価値が疑われ、アメリカは混乱と葛藤のなかにある。歴史の真実を直視する動きも既に起こっている。その動きは、私に言わせれば、まだ中途半端だが、それを全面的に直視し得たとき、アメリカは性格神経症から解放されるであろう。これはなまやさしいことではない。そのときアメリカはインディアンから強奪した土地をインディアンに返さなねばならないであろう。ハワイをハワイ人に返さなねばならないであろう。東京裁判を恥ずかしく思うようになるであろう。アメリカにそれが可能であろうか。それが可能かどうか知らないが、アメリカがインディアンにインディアンから奪った土地を返し、東京裁判を恥じるようになるまでは、アメリカ人というものを信用できないことは言うまでもない。おのれの犯した悪を正当化し、正義化した者は、正義の名において、どのようなことをやらかすか、わかったものではないからである。」

こいつらアメリカは何れインディアンの呪いに滅ぼされてしまうのではないか。インディアンに対する負い目と罪悪感から逃れることは出来まい。アメリカは自分達が気付かない内にインディアン達には滅んでほしいと考えているようだが、そうは問屋がおろさない。仮にインディアンが滅んでも嬉しいことはなく、かえって益々インディアンに対する負い目と罪悪感を持つに至るであろう。流石に滅ぶまで追い込む必要はなかったのではないかと懐疑の念に苦しめられるであろう。滅んでなおインディアンの怨念にも似た信念は消えないであろう。インディアンコンプレックスに苦しみ続けるであろう。インディアンには土地が返ってきてほしいと心から思う。インディアンが最後は勝利を手にしてもらいたいと思う。自分達が自由に生きれるようになってほしいと思う。頑張れインディアン。負けるなインディアン。遥か異国の地をからインディアンの自由と勝利を願おう。インディアンに自由を。そして早く終われ集団ストーカー。