集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

星はとどかない

好きな女がいるのだが私には付き合えそうにない。集団ストーカーの被害者だからでもあるが、容姿も性格も最悪ときたら集団ストーカーの被害者じゃなかったとしても付き合えないだろう。星は手にとどかないから美しいのだ。遠すぎる星たちよ。今まで幾多の男たちを泣かせてきたであろうか。今までどれだけの男が恋に敗れてきたでろうか。そんなことは知らぬが私も失恋は確実である。まだ、歳が若かったら可能性はあっただろうが、私はもう歳だ。好きな女と付き合えるのは絶望的だ。どんな女もいつか枯れてババアになると分かりきってるし、更に愛は長続きするものでもないのに、なぜ、ここまで男は女をゲットする為に労力を費やすのだろうか。若い頃は自分が歳を取らずこの若さが永遠と続くと錯覚できる魔法にかかった時期だから、恋愛をするのは楽しいだろう。恋愛自体が魔法にかかった状態と言えるが、更にそこに若さが加わるのだから幸福指数はかなり高いだろう。私は若い頃に恋愛出来なかった。ある奴に洗脳されて10代を犠牲にし、20代は集団ストーカーの被害者に選ばれて嫌がらせが激化し、恋愛どころではなかった。普通の人々はたいがい恋愛をして楽しんでる時期に何か奇特な奴等に付け狙われているような気がして、それに対処する日々で女を作る余裕はなかった。

綺麗な女性は男を魔法にかけてしまうが、一体何を思い男を誘惑するであろうか。全くその美貌は罪深い。一体どれだけの男を泣かせてきたであろうか。好きすぎて気が狂いそうになる経験は多くの人間がするだろうが、お前さえいなければここまで苦しむこともなかったのにと思うだろう。可愛いあの子は今何をしてるだろうか。イケメン彼氏とイチャイチャしてるだろうか。考えただけで発狂しそうになる。

恋に希望はない。恋に希望をもったと語る人間がいるが、恋を出来るのは選ばれた人間だけであり、縁のない人間はとことん縁がないのである。恋の出来る選ばれた人間が恋に希望をもったとほざいているに過ぎない。奴等にとっては彼女(彼氏)を作るのは当たり前のことであり、自明の理でありその中で恋愛をしてるに過ぎず恋と縁のない人間は奴等を眺めて劣等感を抱く。恋とは所詮その程度のことであり、男女間に生まれる幻想に過ぎない。恋の希望も実際のところは打算的幻想に過ぎない。

恋愛も所詮社会性があるから時代によって、また、社会的通念に左右されるだろう。つまり、主観的認識においては自分の心の中から本物の恋心が芽生えてきたと考えるが、それは社会の通念がそうさせているのであって、客観性はなく、ただの主観的認識に過ぎない。恋愛観は国や時代に左右されるのだから、客観性がないのは確実である。プラトニックラブの幻想も所詮はキリスト教から出てきた宗教的幻想に過ぎない。愛あるセックスの幻想もそうである。(愛自体が幻想に過ぎない)愛は関係なく、やたらと肉体関係だけを求める、男女もいるが、その欲望も社会性があるのであって、内側から欲望が湧いてきたわけではない。男や女をとっかえひっかえする人間はいるだろうが、プラトニックラブの幻想は強く、未だに例えば5ちゃんねる(前2ちゃんねる)には清純な恋愛をしたがる人間は多い。私は女を飽きるまで抱きまくりたい欲望と、清純な恋愛をしてみたい2つの欲望があるが、どちらの欲望もただの社会的通念が生み出した産物に過ぎない。

人間は社会的動物である。従ってその社会に蔓延する観念を受け取り、自分の心の内側から出てきたと思う観念も社会的産物に過ぎない。それは分かっているのだが、好きな女が出来ると昇天してしまう。色んな女とセックスしたい欲望もあるが、社会的通念を理解すれば自分の欲望とある程度距離を置けるだろう。そうやって欲望を相対化し、渋々と生きる以外にないのだろう。終わり。