集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

地獄】絶え間なく続く果てしなき試練

私の集団ストーカーの始まりは主に騒音だった。それも尋常じゃない騒音でアパートが揺れるくらいの凄まじい騒音であった。それが15歳の頃のことである。つまり、私は集団ストーカーは15歳の頃に始まったわけだがそれからの30年間は試練の連続であった。騒音被害は長くアパートを引っ越すまで終わらなかった。この騒音被害の妙なところは家に友達が遊びに来てる時は一切ないのであった。理由は分からないが友達が家に遊びに来てる時は一切ない。従ってこの騒音は意図したものであって集団ストーカーで間違いなかった。24歳の頃に引っ越したから私は9年も騒音被害に耐えてたことになる。しかも尋常じゃない騒音被害に。集団ストーカーの典型的な嫌がらせに騒音があるから私と同じ目にあった被害者は多いだろうが、アパートが揺れるレベルの騒音被害なんてとんでもないレベルである。そんな嫌がらせに9年も耐えていたのである。このアパートに住んでた頃は母親との口論も激化した時期で毎日言い争いをしていた。ある意味これは第2の試練であった。ただ私は自分の気持を爪の垢程度でもいいから分かってもらいたかっただけだが、私の母親は信じられないくらい馬鹿で人の気持が全く分からないのであった。ムカついた私は母親を殴っていた。すると母親の顔がパンパンに腫れて異変を感じた母親の会社の勤め先の人が私の家にやって来た。私は母親が悪いからだと一切引かなかったが、結局その時は話し合いは実らず勤め先の人は帰っていった。私はその時は毎日ムカついていた。騒音被害はあるは、母親は私の気持を全く理解してくれないはで毎日腹が立ってしかたがなかった。母親は自分の都合を満たす為だけに私を利用しようとしており、それを止めてくれと何度も訴えても無駄であった。私が母親の都合の為だけに生きるなら私の存在価値はゼロになり生きる意味がなくなりとてもじゃないが生きていけなくなる。私の家はずっと貧乏だったから母親が私に期待するのはいい。しかし、自分の都合を満たす為だけに私を利用するのだけは止めてくれと言う話である。しかし、引っ越すまで母親は私の気持を分かってくれなかった。それで毎日ぶん殴っていた。私も悲惨な人生を生きてきたが母親も悲惨だったと思う。子供の頃は兄弟の中で自分だけ愛されず捨て子だと思い育ちその後大きくなり、都会に来て働き、家族持ちの男性と恋に落ちて、私を産むことになる。私は余りにもついてなさすぎた。家族持ちの男性と恋に落ちて私を産んだなら方親確定、貧乏確定で、それだけでも悲惨だが、母親は子供の頃は兄弟の中で自分だけ差別されて育ち愛情知らずの為に私の愛し方なんぞ分からず、私は方親で貧しく、母親に愛されず育ったのである。そして、その後集団ストーカーの被害者に選定されてしまうわけである。こんな悲惨な人生はあるだろうか?他に聞いたことない。人類史上一番不幸なのは私ではないのかと言いたくなるくらい、不幸を極めてる。しかも、中学の頃にクラスメートに精神構造を破壊されてそのトラウマは未だに引きずってるし。30年経った今でもだ。母親は一人で私を育てて貧しく楽しいことも大してなく金もなく生きるに必死だっただろう。だから、同情もしたくなるが、私が高校を卒業して就職して金を稼ぐようになり遂に貧乏から脱出出来るとなると流石に私に期待したくなるだろう。私は稼いだ金の半分くらいは家に入れてたから母親は嬉しかっただろう。だから、私に母親が期待するのは全然構わない。私も貧乏から脱出出来るのは嬉しい。しかし、母親は自分の都合のことだけを考えていた。従ってそうすると、私の人生は母親を喜ばす為だけにあることになり、私は存在価値がゼロになり無になってしまう。それが嫌で、俺に期待するのはいいけど自分の都合を満たす為だけに俺を利用するのは止めてくれと何度も訴えたが結局伝わらなかった。それでムカついた私は母親を毎日ぶん殴ってたわけである。しかし、これは今になって考えてみると集団ストーカーに脳を操られてたのではないかという気がしてくる。集団ストーカーはとにかく被害者の孤立化を好み被害者を怒らすことをしてくるから、私と母親の関係を裂くためにお互いの脳を操り喧嘩をさせてたのではなかという気がしてくるのだ。実際の所はよく分からないが、私の母親に対する怒りは尋常ではなく叩き殺したくなるレベルであり、いくら何でもそこまで怒ることはなかっただろう。だから、集団ストーカーに怒るように脳を操られてた可能性はあるだろう。因みに私は綺麗で優しくて愛情に溢れた母親に憧れていた。

 

その後引っ越して一人暮らしをすることになるのだが第三の試練が私を襲う。また、騒音被害であった。6月に引っ越したのだが部屋が暑いので部屋のドアを開けてたら風でドアが閉まりドンと物凄い音を立てたのである。そんなことが2、3回あり、隣の住人が壁をドンドン叩いてやり返してきたのである。私は私以外の他の住人だって暑けりゃ部屋のドアを開けて窓も開けるわけで私みたいにドアが風で閉まり物音をたてることはあったと思う。私以外の住人がどう対処したか知らないが煩いなら注意にくればいいわけで壁をドンドン叩いてやり返してくるのは間違っている。前のアパートに住んでた騒音騒動の時はこっちは何回も注意に行った。しかし、鳴り止むのは一時でまた凄まじい騒音が始まるのであった。引っ越した先のアパートで他の住人はドアが風で閉まり物音を出してもドアの側に重たい物を置いて風で閉まるのを防ぐとか注意に行ったりして事を済ませてたのだろう。しかし、隣の住人はとにかく何度も壁をドンドン叩いて来るのであった。クローゼットを思いっきり閉めてアパート中が揺れる凄まじい騒音を出すこともあった。今思い出してもそいつのことが殺意を抱くくらいムカついてくるが、私は2階の3部屋ある内の真ん中に住んでたのだが別の隣の住人が私が物音をたててると勘違いして物音を出してきた。こちらもムカついて騒音があれば壁に蹴りを入れたりしてやり返して、両者と私の間で物凄い応酬になったが結局私が隣の住人の所に行き煩かったら注意しに来て下さいと言った。しかし、余りにも煩かったので両隣の住人は引っ越してしまった。今にして思うと電磁波でドアを動かしてドアを閉めて騒音騒ぎを集団ストーカーが引き起こしたのではないかという気がしてくる。電磁波兵器を使えば物を動かせるらしいから。とにかく両隣の住人は引っ越したことでこれで静かになるかと思ったら直ぐに新しい住人が引っ越してきて物音を出し始めた。両隣の住人が引っ越したら直ぐに別の新しい住人が引っ越してきたので前回の騒音騒ぎもやはり集団ストーカーが怪しい。被害者の住まいの隣に集団ストーカーの末端の加害者が引っ越してくることはよくあることで、聞いたことある人も多いだろう。仮に集団ストーカーの仕業だとしたら集団ストーカーは私だけでなく関係のない第三者まで巻き込んで騒音騒ぎを引き起こしたことになる。一階の角部屋の住人は速攻で引っ越してしまった。だとしたら無茶苦茶腹が立つが新しく入ってきた二人の住人の内の左側の住人がとにかく煩くしょっちゅう壁を叩いたりして騒音を出すのであった。前々回の時に何度も注意に行っても一向に静かにならなかったから私は注意に行っても無駄だと思い注意にいかず騒音があれば壁を叩いたりしてやり返していた。これが第4の試練でいつも家に帰るのが憂鬱であった。そいつの玄関ドアにくたばれ集団ストーカーと書き殴ったこともあるがこれは馬鹿げた話で何の意味もなかった。何をきっかけにして来たか忘れたが警官二人が私の家に来たことがある。何の話をしたか全く覚えてないが隣の玄関ドアを見て集団…ストーカー…と言ったのを覚えている。私は集団ストーカーのことを知ってるくせに何を惚けてんだと思ったのは覚えている。それでそこのアパートには役10年も住んでたのだが、本当に10年間騒音に悩まされてたのである。15歳の頃に集団ストーカーが始まって騒音地獄から始まり最初のアパートには役10年住んでたことになるから私は役20年間騒音に悩まされてたことになる。しかも騒音が煩いから常に耳栓をしてヘッドホンをして音はMAXにしていた。まるで地獄のような生活であった。それは二回目のアパートの時のことである。私は何て悲惨なんだ。私より悲惨な人間がいたら教えてくれて。

 

第5の試練は咳払い地獄であった。部屋の中にいても外出時にも必ず咳払いにあった。他の被害者も言ってるようにまさに悪意のある咳払いであった。余りにも連続で咳払いに遭うので恐怖を抱き外出時にも耳栓をして出かけていた。外出時に咳払いに遭う時は家の中から私に向けてしてくることもあったが私が家の近くに来たとわかる筈もなく集団ストーカーの音声送信の指示に従い咳払いをしてるのは明らかであった。いつどこにいても誰でも咳払いをしてくるのでみんな集団ストーカーを知ってるのは確実である。いきなり音声送信があったらビックリするだろう。指示が音声送信だと言うのも確実で携帯も持ってなく突然隣の人間が咳払いをしてくるのだから音声送信の指示以外に考えられない。突然音声送信があったら大概の人間はビビるから予め音声送信兵器の存在を知っており、集団ストーカーの目的も知っており集団ストーカーの指示に従って集団ストーカーしてくるのだからみんな集団ストーカーを知ってるのは確実である。何度も同じことを言って申し訳ないが事実だから仕方がない。今日は病院があり、看護師と主治医に咳払いをされたが携帯も当然持ってるはずないし、耳に何か挟んでるわけでもなく私が診察に行くと突然咳払いされたわけである。だからこれも脳内音声の指示があったのだろう。それでそこのアパートは廊下に物を置いてるとかの理由で不動産に出ていってくれと言われた。それなら注意すれば済む話なわけでたかがそれだけの理由で引っ越しを迫るのはおかしい。従ってアパートを追い出せと集団ストーカーの指示があったのだろう。私は壁に蹴りを入れていたので壁にサッカーボール大の穴が開いてしまったが当然修繕費なんか払う気はない。全て集団ストーカーが悪いのだから私は悪くないわけで私が払う必要はない。集団ストーカーが払っとけ。引っ越しさせるのも集団ストーカーの嫌がらせの1つでこっちは静かに過ごしているのに集団ストーカーが騒音を誘発してアパートに住めなくさせて引っ越しをさせるわけである。引っ越し被害にあった被害者は多いだろう。其のたびに金がかかるので被害者には困ったものである。仕事は決まらず退職を余儀なくされ引っ越しさせられるのだから貯金ゼロの被害者も多いだろう。私は40万しかない。お先真っ暗である。で、次に引っ越したアパートは最上階の角部屋であった。両隣に挟まれて凄まじい騒音地獄を味わったので挟まれるのは嫌だから角部屋にしたのである。そこのアパートはお気に入りであった。出来ればずっと住んでいたかったがそういうわけにはいかなかった。そこで第5の試練が襲う。思考盗聴地獄である。これは本当のことだが出会う人間がみんな思考盗聴してるのである。それで昼間に外出出来なくなった為に夜中に24時間営業のスーパーに買い物に行っていた。しかも、当時働いてた職場の社員全員思考盗聴してた為にとてもじゃないが働けなくなり退職を余儀なくされた。退職をさせるのも集団ストーカーの嫌がらせの1つであるから私は集団ストーカーからありとあらゆる嫌がらせにあったことになる。それ以外にも仄めかし、アンカリング、ストリートシアター、コリジョンキャンペーン等のありとあらゆる嫌がらせにあってきたが、それ以外だと電磁波攻撃である。私は電磁波攻撃にあいお尻が焼け爛れた。突然お尻がじゅくじゅく言い出して熱くなり焼け爛れたのである。お尻じゃなくても電磁波兵器の攻撃により身体を傷つけられた被害者は多いだろう。結局仕事を辞めてしまったので家賃を払えなくなり大家からアパートを出ていってくれと言われて出て行くことにした。一ヶ月だけ、滞納しただけで出て行けとはおかしな話で、3ヶ月滞納しても住んでる人もいるから、これも集団ストーカーがアパートから追い出せと指示があったのだろう。かなりお気に入りのアパートだったので残念だった。私はまた引っ越しの嫌がらせにあったことになる。集団ストーカーはなぜ引っ越しをさせるのだろうか。我が家は一番落ち着くわけで精神的に安定する部分もあるから、そうさせない為であろうか。私は常々静かに暮らしたいと思ってるが静かに暮らさせてくれないのは集団ストーカーである。しかも集団ストーカーは第三者を巻き込んで騒音騒ぎを引き起こすのであった。これが集団ストーカーのよく分からないとこで被害者だけ被害にあい嫌な思いをするなら分かるが集団ストーカーお決まりの嫌がらせ騒音は関係のない人間も巻き込むのである。他の住人も煩くてさぞかし迷惑であったであろう。さっき集団ストーカーはみんな知ってると説明したが私が煩くするのも集団ストーカーが騒音騒ぎを引き起こすからそれに対抗してるだけなのであるが、関係のない第三者はなぜか私を恨むのであった。お前も集団ストーカーを知ってるのだろう。なら私がなぜ煩くするのも分かるだろう。なのになぜ私を恨む。全く意味不明である。それでそこのアパートは引っ越して別のアパートに住まいを決めたがそこも角部屋だったが次は電磁波攻撃による嫌がらせが激化した。これが第6の試練である。最初は我慢してたが遂に耐えきれなくなり冷蔵庫や洗濯機に蹴りを入れてストレス発散してたら隣の住人に恨まれた。だから、全ては集団ストーカーの仕業なんだって。知ってんだろ。なのになぜ俺を恨む。恨むなら集団ストーカーを恨めよ。そのことが実に不可解であり、何で怒りが集団ストーカーではなく私に向くのだろうと思った。結局そのアパートも近隣から煩いと苦情が来たとかの理由で引っ越すことになった。アパートの修繕費は36万だった。だが、当然払う気はない。全ては集団ストーカーが悪いのだから。集団ストーカーが払っとけ。そして私はまた引っ越すことになった。次も角部屋にしたが騒音騒ぎを引き起こすのに角部屋も糞もなくどこに住んでようが関係なかった。角部屋でも隣接してる住人はいるし、集団ストーカーが騒音騒ぎを引き起こすと近隣にまで迷惑をかけるくらいだし、角部屋だろうがどこに住んでようが騒音を引き起こされたら終わりだった。だから角部屋に引っ越すのは殆ど無意味であった。しかし、このアパートに引っ越してから騒音騒ぎは終わった。役20年間続いた騒音騒ぎは遂に終わった。嬉しかったが、だいたい我々被害者は何も悪いことはしていないただの被害者だし、理不尽にも集団ストーカーの被害者に選ばれて色々な苦しみを味わうわけで嬉しいは嬉しいが怒りは収まらない。自分で何か努力をして成功したなら嬉しいが勝手に被害者に選ばれて1つの嫌がらせが終わったから嬉しいはないだろう。で、思考盗聴地獄の中で電磁波の嫌がらせにあいまた毎日ムカついていた。テレビを消されることもしょっちゅうあった。ゲームをプレイしてる最中に集中してる中でテレビを消されることはかなりムカつくのであった。それでムカついてロフト付きのアパートだったが梯子に蹴りを入れたりしていた。毎日ムカついていた私は外出先の民家のポールみたいのに蹴りを入れたら警察に通報されて警察に捕まり署に連れてかれてそのまま精神病院に入院することになった。今の私の主治医に電波系のことはありますか?と聞かれた私は藁にもすがる思いでありますと言ってしまった。すると統失と診断されて入院することになった。集団ストーカー被害者が集団ストーカー被害を訴えると統失認定されることはネットで見て知っていたが、私も統失認定されて、ああ、本当なんだと思った。最初は個室に入れられてベッドに縛り付けられてパンツを脱がされパンパースを履かされた。かなり恥ずかしかった。男性器に棒を入れられたりしてかなり痛かったのを覚えている。動けないから一日中寝た状態はかなり苦痛であった。食事は看護師に食べさせてもらっていた。トイレ付きの個室でトイレをしたくなった私は私を縛り付けてる皮状のロープみたいのを身体を動かせば抜けれると気付きベッドから抜け出してトイレをしていたのだが、監視カメラが付いていて看護師にベッドから抜け出したでしょうと言われた。ベッドに縛り付けられてたのは一週間くらいでその後解かれて外出許可も降りた。院内散歩くらいしかすることがなかったが身体を動かせるのは嬉しいものであった。院内の患者は見るからに病んでる者から何で入院したのか分からない元気な者まで様々であった。目が虚ろで精神が壊れてるように見える女性もいた。綺麗な女性であった。それと食事の時は必ず目の前にぬいぐるみを置く男性患者もいた。確かに今まで見たことないような病んでる人間はいたが、特に病んでるようには見えなかった患者もかなり多かった。私は情緒不安定だが別に統失ではなくそんなに病んでるわけではなかったが、3食食べれて風呂にも入れてテレビもあり、いつも孤独だったから周りには人がたくさんいたから入院は別に気分の悪いものではなかった。やることは作業療法とダンスでこんなことしても病気が治るとは思えなかった。先に話した目の虚ろな女性も作業療法をしていたがとてもじゃないがそれで症状が良くなるとは思えなかった。目の虚ろな女性は完全に重病で治療しようがないような感じだった。見てると可哀想で仕方がなかったが、何か相当ショッキングな目にあったのだろう。見た目は綺麗な女性であったから気になって仕方がなかった。作業療法はパズルとか穴の空いたビーズみたいのを嵌めて絵を作ったりだったがそんな程度で病気が治るなら誰も苦労はしないだろう。私はここの病院は本当に人を治す気があるのかと思った。私は別に統失ではないので作業療法もダンスも適当にやっていた。院内には本が置いてあり暇つぶしに読んでいた。食事の時はどこで食べてもいいので大ホールではなくて廊下に設置されてるテーブルで一人で食べていた。不味くはなかったが量が少なくいつも腹を空かせていた。一週間に1回院内販売が来て一週間分のおかしやパンを食べて空腹を満たしていた。病院の雰囲気はよく気分は悪いものではなかったし、普通は集団で寝るのだが私は個室で気楽で気分は良かった。しかし、私の主治医が担当している病棟が違うので私は病棟を変えることになってしまった。私は病棟が変わるのは嫌だった。そこは閉鎖病棟であり、個室はなく集団で眠らなければならず本も置いてないしテレビはあったがつまらなく退屈で気が狂いそうになった。そのことを主治医に話すと薬を処方されていくらか気分が良くなり耐えれるようになった。最初はつまらなくて仕方がなかったがスマホの使用許可がおりてからだいぶマシになった。最初の病棟より狭く食事はホールのみでする決まりでそれ自体は特に何の問題もなかったが、食事に牛乳がよく出ることがあったが私は牛乳が好きではないのでヨーグルトに変えてもらえることを知ってからヨーグルトに変えて貰った。相変わらず量は少なく院内販売が来たらパンとかお菓子を一週間分買って飢えを凌いでいた。閉鎖病棟と聞いてたからヤバい奴しかいないと思っていたが、初めて閉鎖病棟に行った時に何やら怒鳴ってる人はいたが最初の病棟に比べると病んでる人は少なかった。文句ばかり言う人はいたが、別にみんな普通で特に病んでるようには見えなかった。私は強制的に入院させられたが他の患者は自己申告して入院したのだろうか?よく分からないが特にみんな病んでるようには見えなかった。最初は退屈で死にそうだったが慣れてくればなんてことなく、そこそこ気分良く過ごせた。私はノートを持ってたのでノートに自己分析を書いていた。そしたら主治医が私の所に来て自己分析ノートの内容を話しだした。明らかに集団ストーカーの指示があったわけだが、私はそのノートは誰にも見せてないし内容を知ることは不可能なので私が思考盗聴されてたのは明らかであった。主治医は精神科医は人の心を読めますよと言っていたが明らかに嘘であった。精神科医が本当に人の心を読めるならありとあらゆる精神的な病の解決法は確立されてるはずである。その他に1回だけコリジョンキャンペーンがあったが集団ストーカーはそんなものであった。私は騒音がトラウマになっていたので毎日一日中耳栓をして暮らしてたが精神病院では耳栓は取らなければならず不安だったが特に騒音はなかった。流石に集団ストーカーも精神病院で騒音騒動を起こすことは出來なかったのだろう。結局6ヶ月入院したが一度だけ家に帰ることが許されたことがあった。今まで住んでたアパートはシロアリに食われてるとかで引っ越すことになっていて精神病院に連れてかれる翌日が引っ越しの日であった。そこのアパートもかなりお気に入りだったから、引っ越しは嫌だった。それで、警察官に明日引っ越しだから家に帰してくれと何度も訴えたが全く聞いてもらえず精神病院に連れてかれたわけである。引っ越しの方はケースワーカー立ち会いのもとで引っ越し業者を呼んで行われたらしい。私は集団ストーカー被害者はどんだけ引っ越すんだよと思ったが、新しいアパートに着いてみると築30年くらいのボロいアパートで部屋の20型の蛍光灯が4つ付いてるのだが一つしか付かずいきなり落ち込んでしまった。トイレのライトは付かなくなり取り替えたし、今では台所の電気はとぎれとぎれになってしまっている。台所の電球を外してみると旧型で家電量販店には売ってるとは思えなかった。どんなアパートだよ全く。で、一日だけ家に帰ることが許されたから家に着いて物が乱雑に置かれてたので整理してベッドに横になっていた。私は勘違いしてその日は帰らなくてよく翌日病院に戻ることになると思ってたが電話がかかってきて家に泊まることは出来ません。今すぐに帰ってきて下さいと言われてしまった。それなら最初からそういえよと思ったが夜中にバスに乗り病院に帰った。すると私の料理が残されていたので食べてテレビを見てその日は直ぐに寝てしまった。アパートに電気は通ってなかったので冷蔵庫の中のものは全て腐っていた。そこで病院のケースワーカーの人と一緒に中古屋に冷蔵庫を買いに行くことにした。そこは私の知ってる中古屋であった。幾つかあった冷蔵庫の中で一番マシそうなのを選んで冷蔵庫を私のアパートまで届けて貰うことになった。その日は同行したケースワーカーが近くのスーパーまで連れてってくれたので飢えを凌ぐ用にかりん糖を確か3つ買った。ボロくてかなり年季のあるスーパーであった。で、冷蔵庫が届く日に二人のケースワーカーと私の家に戻ったのだが、その日は市役所のケースワーカーも来ることになっていたが病院のケースワーカーは冷蔵庫が腐るのは予想できたことです。冷蔵庫代を払って下さいと言ったが駄目だった。冷蔵庫を設置して二人のケースワーカーと病院に戻る時に一人のケースワーカーが冷蔵庫が腐るのは予想出来ることなので市役所の人が金を出さないのはおかしいと怒っていた。もう一人の女性のケースワーカーはムカムカきたよと言っていた。それで遂に退院することになったのだがあっという間の6ヶ月であった。もうちょっと入院してても良いかなと思った。なんだか名残惜しくなった。病院からバスが出てるのでそのバスに乗り駅前のバス停まで行きそこから家の近くのバス停までバスに乗って帰ってきた。部屋は8畳だがトイレと台所のスペースを併せて8畳なので実質6畳程度で狭く気分が悪い。今まで住んできたアパートの中で一番狭い。しかし、騒音も咳払いもないし快適ではないが昔に比べたらまだマシだ。集団ストーカーはある一定の嫌がらせを何年間か味わわらせたら終わる仕組みなのだろうか。それで新しい嫌がらせもなく今の嫌がらせは車両ストーキングくらいである。主に救急車だが外出すればほぼ必ず救急車がやってくる。後は道を歩いていると車がたくさん来たり、脇道から車が曲がってきたり、ある住人の家の前まで行くと丁度車で帰ってきたり、今の集団ストーカーはそんなもんで騒音も咳払いもない。かなり楽になって良かったが、そう考えたら咳払いの嫌がらせがまた始まった。あれだけ痛めつけといてまた始まるのかよと思った。かなりムカつく奴等だ。集団ストーカーはただの犯罪ではないと分かっていてもやはり嫌がらせはムカつく。だいたいがあれだけ壮絶な嫌がらせに20年あってきたのだから今は楽になって良かったと考えるのは人間として当然と言えるだろう。しかし、そう考えたら集団ストーカーはまたトラウマになっている嫌がらせを始めたのである。集団ストーカーの目的の一つはトラウマを、抱かせ常に被害者を緊張状態にしとくことだろうか。それなら嫌がらせを継続しとけば良いが私はここ10年くらい嫌がらせが大分楽になった。ずっとこうなら集団ストーカーなんか楽勝だぜと考えたがこれが不味かったのかも知れない。

 

今のアパートに引っ越して二年経った頃に私は交通事故に巻き込まれて入院することになった。妙なのは事故現場のすぐ近くに大きい病院があるのにそこの病院に運ばれずかなり遠くの病院に運ばれたことである。その、理由が分からないが、集団ストーカーの指示でもあったのだろうか。私には事故った記憶が全くなくその時に事故現場で警察官と話したらしいがその記憶もないし、病院に運ばれて警察官も付いてきて手術する時に手術してもいいとサインしたらしいがその記憶も全くない。手術した記憶もない。病院で警察官の人と何やら色々と会話をしたらしいがその記憶もない。私は気付いたら病院にいたのである。最初は何でこんなとこにいるのだろうと思った。病院だったから事故に巻き込まれたのかなと思った。手術の時に何故か歯に詰め物をされており意味が分からなかった。その詰め物が取れて歯が欠けてしまった。余計なことしやがって。傷跡は未だに残ってるが顎の付近の手術をしたようである。病院の飯はおかずはすり潰されご飯はおかゆであった。不味いので病院の人に頼んで通常料理にしてくれとお願いしたら願いは叶って通常の料理を食えるようになった。通常料理はまあ、結構美味かった。病院は新しく大きく一階に大ホールがありテレビを見たり食事をしたり出来、コーヒーショップ、パン屋、コンビニがあり、かなり近代的な病院であった。その病院には一ヶ月ほど入院してたのだが、最初に入院した精神病院に移ることになった。リハビリの為とかの理由だったが別に病院は変える必要はなかった。そこの病院から退院しても何の問題もなかった。それで病院を移って私の担当医と話すことがあり色々と話してリハビリの為でしょうと私が言うと担当医はそういうことだと思いますよと言った。入院場所はまた閉鎖病棟だったが閉鎖病棟に行く前に病院の一階の奥にあるベッドのある部屋に入れられて呼ばれるのを待っていた。それで30分ほど待たされて呼ばれて閉鎖病棟に行くことになった。行ってみると看護師は一人以外は全て入れ替わっていた。今までの看護師はどこに行ったのだろう?それで閉鎖病棟の別室に通されて食事を出された。おかずは全て潰されており、ご飯もおかゆだった。最初に入院した病院から食事はすり潰したものにしてくださいと連絡があったのだろう。食事を終えて寝泊まりする部屋に連れてかれてロッカーに物を閉まってベッドに待機していたら別の患者が週一で院内販売がありますよと言ったが私は前に入院してたことがあるので知っていた。それで夕御飯の時間になり私だけすり潰した料理で不味くとてもじゃないが食えたものじゃないので看護師に通常料理に変えて下さいとお願いしたら、いいですよ、不味いもんねと看護師は言った。あと牛乳は飲めないのでヨーグルトに変えてもらい食事を終えて食後の薬を飲んだ。院内の患者も全て入れ替わっていた。最初の入院が二年前になるから当たり前だが、また、なぜ入院したのか分からない元気な患者ばかりであり、楽しそうに談笑していた。中学生の患者もおり、何の病気か分からない元気な女の子達であった。ルックスはよく可愛らしかった。それで、着替えとスマホが欲しいので家に取りに行きたいと看護師に頼んだらあっけなくこちらの要求は通ってケースワーカーの人の車に乗せられて家に戻って着替えとスマホを取ってきた。スマホがあれば無敵である。これでいくらでも暇つぶしが出来る。3食出てテレビとスマホがあり、作業療法は二時間程度。入院はやはりそんなに悪いものではないなと思った。作業療法に精神治療としての効果など全く期待できないので、私はまた適当にしたり、本を読んだりしていた。中学生の女の子達は受験なのか勉強をしていた。1ヶ月ほど入院して退院となったが、やはり名残惜しく、可愛らしい中学生の女の子達と分かれるのも何だか残念だった。入院代を払うことになったのだがかなり金がかかると思ったが僅か250円だった。病院の看護師はみんないい人だったし、綺麗な人がいたこともあるが、2度目の入院は悪いものではなかった。病院からバスが出てるがバスの停車場までバスに乗り後は歩いて帰るしかなかった。2時間ほどかけて歩いて帰ったが歩き過ぎたのか脚を痛めてしまった。脚の痛みは当分の間治らなかった。それで新しいアパートに住むことになったが今まで住んでたアパートの中で一番狭く気分が悪かった。角部屋を選ばなければもっと良い物件はあっただろうが騒音がトラウマになっていたので角部屋にした。しかし、さっきも話した通りどこの部屋に住もうが騒音トラブルに巻き込まれたら終わりであり、特に角部屋を選ぶ必要はなかった。次に引っ越す時は角部屋とか関係なく良い物件を選ぶだろう。今の部屋は角部屋なのに窓が一つしかなく風通しが悪く夏は暑くてたまらない。しかもボロく電気は消えるはトイレのタンクは壊れてるはでろくなものではない。しかし、立地条件はよく直ぐ近くにスーパー、薬局、百均、業務スーパーがあり、その点だけは良かった。

 

次の第7の試練は電磁波兵器による精神攻撃であった。それはこの世の苦しみとは思えない凄まじい苦しみで、私は集団ストーカーが終わらなくてもいいから電磁波兵器による攻撃だけは止めてくれと何度も訴えたが無駄であった。その苦しみは人間が味わう苦しみの中で最高の苦しみと言いたくなるくらいの苦しみであった。遂に耐えきれなくなった私は首吊りを決行したが失敗に終わった。首吊りを決行した後は電磁波兵器による精神攻撃は終わった。もし、成功してたら殺人ですよ。集団ストーカーは平気で殺人を犯す連中だと分かった。

 

20年苦しみ10年集団ストーカーがかなり楽になりこのまま終わることを期待したが私はまた試練に襲われた。身体が動かなくなったのである。これが第8の試練である。倦怠感が酷く全身が怠く身体が重たく歩くことが出来ないのである。集団ストーカーがかなり楽になったら次は心身症かよと絶望した。歩くと何故か背中が後ろに反り前に進まず身体を前に倒せば楽になるが最初はそれで早く歩けたが今は足が重く怠く身体を前に倒しても全く早く歩けない。しかも身体が左右にゆらゆら揺れる始末。自転車に乗っても左右にゆらゆら揺れるので危なくて乗れない。普通に立ってるだけで後ろに倒れそうになるし、自分なりにネットで色々と調べたが部分的には一致する症状はあるが完全に一致する症状はなく、一体何の病気か分からないが、私なりに調べた結果、ストレス過多、鬱、自律神経失調による合併症だと判断した。ストレス過多、鬱、自律神経失調の症状が一番症状と一致することが多かった。それで今は歩けなくなる病気に苦しんでる。苦しんでる時に集団ストーカーしてくるのが集団ストーカーの特徴で車両ストーキングは増えて咳払いも増えて、スーパーに行ったら社員が、足元に注意して下さいと書かれた置物を走って持ってきた。明らかに歩けない私に向けられた嫌味な嫌がらせであった。人が苦しんでる時によくも冷酷にも集団ストーカーなんか、出来るもんだ。一体どういう神経をしてるのか。しかし、これが集団ストーカーだ。苦しめば苦しむ程嫌がらせが激化するのだ。こういうことを平気で出来るとこに集団ストーカーの謎を紐解く鍵があるのかも知れない。私の説では何度も言って申し訳ないが、集団ストーカーとは思考盗聴器を使って脳の中を読み人間理解を深める社会実験だが、だとしたらなぜターゲットに選定された人間を苦しめるのだろうか。私の説は間違ってるだろうか?自殺まで追い込まれたし。しかし、集団ストーカーを紐解く鍵は思考盗聴器にあるのはまず間違いなく、人の脳の中を読めば人間理解を深めるのにかなり役立つのは確実である。松本人志が誰かの犠牲が必要なこともあるんや、と言ってたが、(それならお前も犠牲になれよ)それなら集団ストーカーは我々被害者の犠牲により社会に何か裨益することでもあるだろうか。てか、それ以外に考えられないが、そうすると意味不明な嫌がらせが余りにも多すぎる。特にアンカリング(印象付ける)ストリートシアターの意味が分からない。ライターとかタバコとか身体障害者を外で良く見かけるが、一体何の意味があるのだろうか。人体実験の為に被害者にストレスを与えるのは分かるがアンカリング自体にストレスを感じることはなく、ああ、またかと思う程度である。ストリートシアターも同じく目の前で演劇を見せられるだけで、こちらも、ああ、またかと思う程度で大してストレスは感じない。仄めかし、コリジョンキャンペーン(ぶつかってくる)はムカつくが、集団ストーカーは余りにも意味不明な嫌がらせが多すぎる。この意味不明な嫌がらせに何の意味があるのだろうか?意味不明な嫌がらせも集団ストーカーの一部だから、集団ストーカーの謎を紐解く鍵にはなるだろう。私は20年間騒音と咳払いの嫌がらせにあい続けてかなりストレスがたまり、トラウマになり、耳栓が必須のアイテムになってしまったがストレスを与え続けることで人体実験をする上でかなり有益な情報を得ることが出来るだろうか。ストレスを与えなきゃ有益な情報が得られないなら何故それが分かったのか。最初から分かっているならかなり人間通てことになる。私は今は一応人体実験説を押してるが別に自分の考えが絶対に正しいとは思っていない。常に()にいれて改変の余地があると思ってる。ただでさえ特殊な犯罪なんだから自分の考えは絶対化しないほうがいいし、他の説も鵜呑みにするのは危険だろう。特にTwitterで言われてる説は信じない方がよく、どれも信用ならない。カルトとか創価の犯罪だと言われてるが全員完璧に騙されてる。ちょっと考えればカルトとか創価がやるのは不可能だと分かるだろうに。今まで何人の人間に集団ストーカーされてきた?その数は尋常じゃないんだから、カルト犯罪でもないし、創価が主体の犯罪でもないのは馬鹿でも分かるだろうに。なぜTwitter民は騙されてるのか不思議でならない。私が思うに、何も信じないのが一番良いだろう。何も信じなきゃ騙されない。

 

今は第8の試練、身体を思う通りに動かせない病にかかってるがこれが自然派生的な病なのか電磁波により作られた病なのかよく分からない。この病にかかる前によく自動の車椅子に乗ってる人に遭遇することがあったが、集団ストーカーは未来に起こることを仄めかしてくることがよくあるから、私が思う通りに身体を動かせず歩けなくなる未来を暗示した仄めかしだったのかも知れない。だとしたらこの病は集団ストーカーが生み出した病と言うことになり私はまた集団ストーカーに地獄の試練で苦しめられてることになる。もう30年も集団ストーカーに苦しめられてるのだからもう良いだろうとう気持ちで一杯だ。我々被害者はもう一生分の不幸は味わった。今は毎月精神科に通ってるがこんな身体の状態ではとてもじゃないが病院には行けない。市役所からタクシー代が出るだろうか。聞いてみよう。私はつまり、両方の苦しみを味わったことになる。精神的な苦しみと、肉体的な苦しみをである。断言するが精神的な苦しみより肉体的な苦しみのほうが辛い。毎日が苦痛であり地獄である。癌頑者は全身の骨が折れるような苦しみを味わうと言うがまさに地獄である。つくづく人間は身体が資本だと思うようになった。毎朝散歩してるが昔は町内を一周してたが、そんなことは不可能になり、近くの公園までしか散歩出来ない。普通に歩けるなら20分程度で着くが今は1時間かけて公園まで歩いている。歩けないなら散歩なんかしなきゃいいじゃんと思うかも知れないが身体を動かさないと全身が怠くなるし、寝れないので仕方がなく地獄の散歩を毎日している。この第8の試練は今までの試練の中で最大の試練と言ってよく、集団ストーカーの嫌がらせに遭いながらも好きなように身体を動かせるのは天国であった。身体を動かせない苦しみこそ最大の苦しみであり、普通に散歩したり自転車に乗れてる人を見ると羨ましくて仕方がない。身体を動かせるってなんて幸福なんだろう。身体が動かなくなった私に言わせると人生最大の喜びは自由に身体を動かせるってことである。スポーツ選手なんか最高の幸せ者である。大谷翔平が世界一の野球選手になれたのも身体を動かせるからであって大谷翔平が身体を動かせなかったらただのデカい男で終わりである。皆には身体を動かせる喜びを感じてもらいたいと思う。断言するが、集団ストーカーよりも身体を動かせない病の方が遥かに辛い。だから、他の集団ストーカー被害者で集団ストーカーに参ってる人は私を思い出して身体を自由に動かせる喜びを感じて欲しい。まあ、最もこれも集団ストーカーの電磁波兵器により引き起こされた病かも知れませんがね。

 

被害者はみんなそれぞれが様々な試練に耐えて生きてるだろうが、私は今までとんでもない試練に耐えて生きてきた。被害者によっては軽い嫌がらせだけの人間もいるだろうが、私みたいに尋常じゃない苦しみに耐えながら頑張って生きてる人間もいるだろう。必ずこの苦労が報われると信じてお互いに頑張って生きていこう。終わり。