集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

一般人は集団ストーカー被害者のことをどうおもってるのだろうか。

集団ストーカーは犯罪の犯し過ぎで感覚が麻痺してるんだよ。今日も集団ストーカー、明日も集団ストーカー。毎日集団ストーカーしてるから胸の中が罪悪感で一杯になり「意図的に」感覚を麻痺させてんだよ。(今咳払いをさせられた。そのとおりだよと言いたいのか、或いはそう思わせてるだけか)こんだけ毎日「犯罪行為」をしてたら人間的におかしくなるだろう。如何なる理由があろうとも絶対にしてはいけない究極のプライバシー侵害思考盗聴器で思考盗聴してるしね。普通の人間なら罪悪感で一杯になる筈だよ。

何度も申し上げたように絶対に一般人は集団ストーカーを知ってるのである。勿論有名人も知っている。集団ストーカーの嫌がらせをつぶさに眺めて見るとそう結論づける以外になかった。私は思考盗聴地獄に陥りそのことを知ったが今だって一般人は思考盗聴してるかも知れない。私の初恋の人だって集団ストーカーは知ってるし、私が被害者に選定されてしまったことは知ってるだろう。彼女はそのことをどう思ってるだろうか。最近初恋の人に対する想いが復活してきてヤバい。また好きになってしまった。初恋の人は結婚して東京で暮らしてるらしいが幸せにしてるだろうか。私ときたら集団ストーカー被害者ということもあって惨めったらしいたらありゃしない。どうしてこうなった。

私は毎朝散歩してるのだが、散歩の時にアパートの向かいの一軒家のオバチャンによく遭遇し挨拶をされていた。私はいつも合うと深く頭を下げていた。私はこのおばちゃんは私が集団ストーカー被害者と知ってて挨拶をするなんて良いおばちゃんだなと思った。話しかけてくることもあった。しかし、最近朝の散歩の時にオバチャンに出会わなくなった。どうしたのかなと思ったが、今日の散歩はちょっといつもより遅かったのだが帰ると向かいのオバチャンが枯れ葉の掃除をしていた。すると、オバチャンは私を見るなり、さっと、後ろを向いた。挨拶もするし、話しかけることもあった優しいオバチャンの態度がいきなり変わってしまった。何があったか知らぬが、朝に散歩に出会わなくなったことと無関係ではないだろう。私に対するオバチャンの態度が良いものだから、集団ストーカーが私のイメージを下げることをしたかも知れない。

一般人の態度が色々おかしいなと思うことが結構あり、私を見て笑ってる(嘲笑ではない)人もいれば泣いてる人もいた。泣くのは分かる。我々被害者はこの上なく卑劣な犯罪に巻き込まれて散々辛い目ににあってる為に被害者のことを思い、思わず泣いてしまったのだろう。これは人間なら普通のことで理解出来る。思考盗聴地獄に陥った際に一般人も思考盗聴してると知ったわけだが、思考盗聴地獄の中辛かったが業務スーパーに行ったら女性のアルバイトが2人いて、一人はレジ、一人は食品の陳列をしていた。で、アルバイトのレジの女性の顔を見てみると、なんと言うか、ようやく気付いたわね、というか、集団ストーカーは貴方が思ってるような邪悪な犯罪とはちょっと違うわよ的な表情を浮かべていた。食品の陳列をしてる女性を見てみるとレジ女性と全く同じ笑顔を浮かべていた。こういった経験をよくしたものだから、こっちは集団ストーカーに対する解釈が変わってしまった。邪悪な犯罪とはちょっと違う別の、目的は知らぬが、何かではないかと。

しかし、実際に集団ストーカーの嫌がらせに遭うとガチもんの邪悪なキチガイの嫌がらせとしか思えないのである。とにかく集団ストーカーの嫌がらせは腹が立って、立ってしょうがないのである。従って、集団ストーカーは邪悪な犯罪とはちょっと違うとしても、嫌がらせに遭うとやっぱり邪悪なキチガイの犯罪行為としか思えなくなるのである。

今だって私は集団ストーカーの嫌がらせに遭っているが例えば集団ストーカーの典型的な嫌がらせに咳払いがあるが、咳払いをされると、私はうるせえ!としょっちゅう怒鳴る。向こうはただの指示された一般人だからやり返してはこないが、実質ただの一般人に怒鳴り散らす私も私だが、集団ストーカーの嫌がらせに長いことあってきたこともあり、こっちはムカつきがもう既にピークを超えており、何か嫌がらせに遭うだけで怒鳴り散らしてしまう。何の罪のない一般人に対してでも。何だか何もやり返さないのは悔しいのである。

一般人も思考盗聴してるなんて信じ難いだろうが100%事実である。絶対に間違いない。ちょっとの時間だけね。俺の初恋の人だって思考盗聴してるだろう。思考盗聴器の存在を知ってるだけでも何だか複雑な思いだ。

ある時集団ストーカーから思考送信があり、ずっと思考盗聴してたら迷惑でしょうがないんだよなあ、とあった。それは私は本当のことだと思った。私だって他人の脳内情報が常時送信されてきたら鬱陶し過ぎて嫌である。この集団ストーカーの思考送信は本当のことを言ってたと考えて間違いないだろう。そう考えると毎日思考盗聴してる集団ストーカーは交替制なのは間違いないだろう。寝る時以外は思考盗聴してたら気が狂ってしまう。1日何時間思考盗聴してるか知らないが、1人3,4時間くらいではないか。人間が耐える限界は大体それぐらいだろう。

ほら、漫画とか映画によくあるだろ。倒すべき悪人が実は善人の心を持っており、訳あって悪人になり、実は助けを求めてたパターンが。或いは本物の勇者の登場を促す為に自ら邪の道に走るとか。集団ストーカーは実はそうではないかと考えることもある。(今咳払いをさせられた)実際に昔にこんなことがあった。ある人気掲示板で遊んでると集団ストーカーと思わしき人間がいたので、私は本心では無かったが、頭の中からそいつに向かって、お前のことを助けてやる、と語り掛けたら、そいつは突然、態度が変わり、え?、お!という態度を取った。それを見て実は助けを求めてる集団ストーカーもいるのではないかと思った。(今咳払いをさせられた)実際のところは集団ストーカーにも色々な種類の集団ストーカーがいるのだろう。単純に集団ストーカーを楽しんでる奴とか、実は集団ストーカーなんかやる気がなくて(自尊心が低下するから)助けを求めてる奴とか。例の掲示板にいた集団ストーカーが助けを求めてたのは事実であろう。それと、私がとある理由があり、大号泣することがあったのだが、すると、あるサイトから集団ストーカーと思われる人間が、「この腐れ外道」と書き込んでいた。私が大号泣したことに対して爆笑してた集団ストーカーがいて、その集団ストーカーはその光景を目の当たりにして腹を立てて「腐れ外道」呼ばわりしたのだろう。どうも集団ストーカーにも良いやつがいるようである。(今咳払いをさせられた)嘘か真かそれは、分からん。

で、一般人はどう思ってるかだが、案外傷ついている人間は多いのではないかと考える。だって、我々被害者はこれだけ冷酷な嫌がらせに毎日あってるのだもの。(意味不明な嫌がらせも多いが)普通の神経の持ち主なら傷つくだろう。私が集団ストーカー被害者でなかっとしたら、集団ストーカー被害者を見て傷つくだろう。これは、一般的な感覚でなんら不思議でも何でもない。心の中から頑張れよ、死ぬなよ、と思っている一般人もいるかも知れない。因みにさっき「腐れ外道」と言った集団ストーカーは被害者に死ぬなよとよく言っていた。(そういうことを言うのは集団ストーカー的に不味くはないのか?)

今は読んでないが当時お気に入りのブログがあり、よく読んでいたのだが、そのブログのコメント欄にさっきの「腐れ外道」と言った集団ストーカーが現れて、「虐めの問題もそういうことですしね」と書き残していた。その時のブログのタイトルは忘れたが、コメント欄に書き残したのは「腐れ外道」と言った彼でまず間違いなかった。(また咳払いをさせられた。させられる咳払いと自然な咳払いの違いが分かるのである)。

虐めの問題もそういうことですしね、と言うのは思想家の内田樹がイジメ供犠説を提唱していて、読んでみるとまるで虐めが集団ストーカーそっくりなものだから、私はこれは遠回しに集団ストーカーのことを言ってるのではないかと思ったのである。で、その文章を読んだ例の加害者が、虐めの問題もそういうことですしね、と書き込んだのである。集団ストーカーが供犠なら集団ストーカーは生け贄の儀式である。集団ストーカー供犠説は前に書いたが、当たってるかも知れない。自民党に投票して安心する馬鹿と生け贄を差し出して安心するのは安心してることでは同じである。実際自民党に投票する馬鹿は自民党にシンパシーを感じてるのだろう。アメリカ、西側の言いなりで何も強く言い返せない自民党に。それで入れる。それ以外にたぶんない。負け犬が負け犬に入れるわけだ。日本に未来はない。しかし、このままでもいかんとは思うが答えはない。さてどうすべきか。それで、集団ストーカーが生け贄の儀式的なものなら、生け贄の儀式には当然だが精神安定作用があり、一時的に心が落ち着く。それで、一般人は日々抱えてるストレスをこの世のどこかで集団ストーカー被害にあって苦しんでる人がいるんだと思えば、大変なのは自分だけではないのだと思い心が落ち着くのだ。上にシンパシーと書いたがシンパシーとは共感とか言ったほどのことだが、生け贄の儀式はシンパシーとは違う。アメリカとか西側には怖くて何も言い返せないくせに国民にはやたら強い自民党にシンパシーを感じるのだろう。哀れ。

結局のところ一般人も色々で傷ついてるのもいれば、特に何とも思わない奴もいれば、心が落ち着く人間もいると言うことなのだろう。一般人が集団ストーカーを実は知っているとこにこの犯罪の謎を紐解く鍵があるような気がするのだが、どうだろうか。